幾 - 漢字私註

説文解字

幾
微也。殆也。从𢆶从戍。戍、兵守也。𢆶而兵守者、危也。
𢆶部

康煕字典

部・劃數
幺部九劃
古文
𢆻
𢆼

『唐韻』居衣切『集韻』『韻會』居希切、𠀤音機。『說文』微也。『易・繫辭』幾者、動之微吉之先見者也。『書・臯陶謨』兢兢業業、一日二日萬幾。《傳》言當戒懼萬事之微。

又『說文』殆也、从𢆶、从戍。戍、兵守也。𢆶而兵守者危也。『爾雅・釋詁』幾、危也。《註》幾、猶殆也。『詩・大雅』天之降罔、維其幾矣。

又『玉篇』期也。『詩・小雅』卜爾百福、如幾如式。《疏》所以與汝百種之福、其來早晚、如有期節矣、其福多少、如有法度矣。

又『爾雅・釋詁』庶幾、尚也。《疏》尚、謂心所希望。『孟子』王庶幾改之。

又察也。『禮・玉藻』御瞽幾聲之上下。『周禮・地官・司門』幾出入不物者。《註》不物、與衆不同。又『司關』無關門之征猶幾。《註》無租稅、猶苛察不得令姦人出入。

又『韻會』將及也。『爾雅・釋詁』近也。『易・中孚』月幾望。『禮・樂記』知樂則幾於禮矣。『史記・留侯世家』幾敗乃公事。○按『爾雅』『釋文』音機、『史記索隱』音祈、『禮記』『釋文』音譏。又巨依反。『韻會』云、𠀤機祈二音、是也。

又『廣韻』『集韻』『韻會』𠀤渠希切、音祈。『集韻』器之沂鄂也。『禮・郊特牲』丹漆雕幾之美。《註》幾、謂漆餙沂鄂也。《疏》雕、謂刻鏤。幾、謂沂鄂。言以丹漆雕餙之、以爲沂鄂。『釋文』幾、巨依反。

又『廣韻』居狶切『集韻』『韻會』舉豈切、𠀤機上聲。『玉篇』幾幾、多也。『廣韻』幾、何也。『韻會』幾、數問多少之辭。『左傳・僖二十七年』靖諸內而敗諸外、所獲幾何。『史記・萬石君傳』少子慶爲太僕御、出、上問車中幾馬。

又『韻會』未多時曰無幾。又物無多、亦曰無幾。

又『廣韻』『集韻』『韻會』𠀤其旣切、祈去聲。『廣韻』幾、未已也。

又『集韻』與覬通。『左傳・哀十六年』國人望君、如望歲焉、日日以幾。《註》冀君來。『史記・晉世家』無幾爲君。《註》幾、謂望也。

部・劃數
幺部五劃

『集韻』古作𢆻。註詳九畫。

部・劃數
幺部五劃

『集韻』古作𢆼。註詳九畫。

音訓

(1-1) キ(漢) 〈『廣韻・上平聲・微・機』居依切〉
(1-2) キ(漢) 〈『廣韻・上平聲・微・祈』渠希切〉
(1-3) キ(漢、呉) 〈『廣韻・去聲・未・䤒』其旣切〉
(2) キ(漢) 〈『廣韻・上聲・尾・蟣』居狶切〉
(1) きざし。あやふい。ちかい。ほとんど。こひねがふ(庶幾)。
(2) いく。いくつ。いくばく(幾何、幾許)。

音(1-1)(1-2)(1-3)と訓義の對應は資料により異同がある。(2)との區別は一致してゐる。

解字

字は𢆶と戍、あるいは𢆶とに從ふ。なほ戍は戈と人に從ふ。

字義が抽象的であるからか、字の成り立ちについて何れの説を採るべきか判じ難い。

白川

𢆶の會意。

『説文解字』に微なり。あやふきなり。𢆶に從ひ、戍に從ふ。戍は兵守なり。𢆶(幽)にして兵守する者は危きなり。といふ。𢆶を幽、幽微の意より危殆の意を導くものであるが、𢆶はの初文。戈に呪飾として著け、これを用ゐて譏察のことを行つたのであらう。『周禮・天官・宮正掌王宮之戒令、糾禁。〜、幾其出入、〜。(王宮の戒令、糾禁を掌る。〜其の出入を幾し〜。)、『同・地官・司門掌授管鍵、以啟閉國門。幾出入不物者、正其貨賄。(管鍵を授くるを掌り、〜。出入する不物の者を幾し、〜。)など、みな譏呵、譏察の意に用ゐる。

ことを未發のうちに察するので幾微の意となり、幾近、幾殆の意となる。

藤堂

𢆶(わづか)と(ほこ)との會意。𢆶はかすかな絲を示す。幾は、人の首にもう僅かで戈の刃が屆くさまを示す。もう少し、近いなどの意を含む。僅かの幅を伴ふ意から、はしたの數、幾つを表すやうになつた。

漢字多功能字庫

金文は𢆶と戍に從ふ。𢆶は絹絲を象り、細微(ごくわづか、ごくかすか)な事情(事、事情、事柄)を指す。戍は人が戈を持ち戍守(守備)するさまを象り、細微な事を防備することを表し、災ひを芽のうちに摘み取るの意を有す(關子尹)。戴侗は、戍守する者は察(の任務)に當たり幾微の間を物色し(審さに見る/調べるの任務に當たつて、細かいところまで物色し)、故に幾微、危殆の意を派生する、とする。

𢆶は二に從ひ(後に簡帛文字に一幺に從ふものがある)、二本の細い絹絲の竝ぶ形、幾つかの「細微の極み」の事情や事態の意。『周易・繫辭上』にある夫易、聖人所以極深而研幾の中の「幾」がこの意である。戍は戈を持ち防守すると解く。二者を合はせて、我々は細かい極みの事象に對しても警戒を保持し、危險に陷ることから免れる、災ひを芽のうちに摘み取るの意を有す。これは『説文解字』の解釋を説明してをり、實にその道理がある。總じて言ふと、幾は構成要素から見れば、主な意は微であり、微はまた危の意を派生する。幾字は後に「幾乎」、「幾希」、「庶幾」などの虛詞をつくる上で多用される。その中の幾字はいづれも同音の假借ではなく、いづれも微の原義から派生して得られるものである。幾字は後に機字を派生したが、その抽象と幾は實に多く讓る暇がない。

中國古代哲學で、多くの重要な哲學討論のいづれも幾字と關係を有す。例へば『周易・繫辭下』に知幾其神乎其知幾乎、幾者動之微、吉之先見者也、君子見幾而作、不俟終日などの語があり、「幾」を認識、掌握することが世の中や人生で重要であることが非常に明瞭に現れてゐる。但し幾の一字は後世の學術思想に最も影響する。『尚書・大禹謨』人心惟危、道心惟微、惟精惟一、允執厥中は後世に「十六字心傳」と呼ばれる經典の名句で、この中の「危」と「微」に、まさに「幾」一字の要旨が所在する。「尚書・大禹謨』はずつと前に清の閻若璩により僞書と判定されてゐるが、「危」、「微」と「幾」の關係は少なくとも『荀子・解蔽』にすでに明らかに論述されてゐる。故『道經』曰、「人心之危、道心之微」、危微之幾、惟明君子而後能知之。荀子は明確に「幾」字中の「微」、「危」の辯證法的關係を指摘してゐる。そしてこの中の「危」と「微」に關係のあるといふ討論は、後に宋や明の儒者の探求を引き附け、その影響は深遠で、眞に夷の思ふところに非ず。

(補註: 取り敢へずは譯したものの、さつぱりわけがわからない。)

一説に金文は𢆶と(あるいは)に從ふといふ。𢆶は絲繩で人を懸けるさまを象り、戈を絲に加へ、絲は間もなく斷たれ、千鈞一髮(非常に危險なさまの謂ひ)、危險が旦夕にあるの狀、といふ(金國泰、張世超)。本義は危殆。絲が間もなく斷たれるの意から、將要(間もなく)、將近(ほぼ〜である)、幾乎(ほとんど、危ふく)の義を派生する。幾はまた隱微を表し、事物の跡象、吉凶の兆しを指し、危亡が迫つてゐて、制止存亡が一線に掛かつてゐるの意を派生する。

金文では人名に用ゐる。幾父壺易(賜)幾父は、幾父に賞賜することを表す。

戰國竹簡での用義は次のとほり。

屬性

U+5E7E
JIS: 1-20-86
當用漢字・常用漢字
𢆻
U+221BB
𢆼
U+221BC

関聯字

幾聲の字

其の他

几を幾の簡体字として用ゐる。