説文解字私註 畫部

畫部

説文解字
畫畵界也。象田四界。、所以畫之。凡畫之屬皆从畫。
𨽶 古文畫省。
𠟷 亦古文畫。 段注に按刀部有劃字。と註す。
康煕字典
田部七劃
《古文》𤱪𨽶𤲯
『唐韻』『集韻』『韻會』『正韻』𠀤胡麥切、橫入聲。卦畫也。
分畫也。界限也。『左傳・襄四年』芒芒禹迹、畫爲九州。《註》畫分也。『禮・檀弓』哀公使人弔蕢尚、遇諸道、辟於路、畫宮而受弔焉。《註》畫地爲宮象。
計策也。『鄒陽・上吳王書』故願大王審畫而已。『史記・荆燕世家』齊人田生游、乏資、以畫干營陵侯澤。《註》服䖍曰、以計畫干之也。
截止也。『論語』今女畫。
丘名。『爾雅・釋地』途出其右、而還之畫丘。《註》言爲道所規畫。『釋名』道出其右曰畫。丘人尚右、凡有指畫、皆用右也。
地名。『史記・田單傳』燕之初入齊、聞畫邑人王蠋賢。《註》正義曰、括地志云、戟里城在臨湽西北三十里、春秋時棘邑。又云澅邑、蠋所居卽此邑、因澅水爲名也。
『廣韻』『集韻』『韻會』『正韻』𠀤胡卦切、音話。『爾雅・釋言』畫形也。《註》畫者爲形像。『釋名』畫、挂也。以五色挂物象也。俗作𦘕。『周禮・天官・典絲』凡祭祀共黼畫組就之物。《疏》凡祭服皆畫衣繡裳。『儀禮・鄕射禮』大夫布侯、畫以虎豹。士布侯、畫以鹿豕。
官名。『後漢・百官志』畫室署長一人、四百石、黃綬。
『韻補』叶胡對切、音惠。『秦瑯琊刻石』方伯分職、諸治經易。舉錯必當、莫不如畫。易音異。
康煕字典・画
田部三劃
『字彙』胡卦切、與畫同。繪也。
グヮ。クヮク。
ゑ。ゑがく。かぎる。はかる。
解字(白川)
と田の會意。聿は筆、田はの初形。周は彫、雕の從ふところで、彫盾の形。周は方形の楯面を四分して彫飾を施す意。その彫飾を施すことを畫といふ。
卜文の、金文の畫は、規の初形(ぶんまはし)に從ひ、その雕文に規を用ゐたことが知られる。
解字(藤堂)
(筆を手に持つさま)と田の周りを線で區切つて圍んださまの會意、ある面積を區切つて筆で區劃を記すことを表す。
解字(落合)
甲骨文はと乂の會意。上部の聿は筆で畫を描くさま。下部の乂は描かれた繪畫を表す。(補註: 當該の甲骨文を、白川はの甲骨文として擧げる。漢字多功能字庫は落合と同じく畫の甲骨文に擧げる。)
西周金文で下部をに變へた字形が出現し、更に古文、籀文で田のやうな形に變化した。
解字(漢字多功能字庫)
甲骨文はあるいはと、描き出される圖案の象形(補註: 乂と同形)に從ひ、全部で筆を執り畫をかき習ふ形。金文は加へてに從ひ、周は琱玉の形を象る。全部で玉の上の繪畫文采であらう。
金文は周をあるいは省いて田と玉に從ふ形となし、あるいはただ田に從つてつくる。戰國文字は田に從ふ書き方を繼承し、聿と圖案の象形の部分は繫がり、繫がつた所が文の形となり、文采の意を表す。《古璽彙編》1343字形を參照のこと。また田が目の形に變はつたものもある。《上博竹書二・子羔》簡10字形を參照のこと。秦文字では田の下に横劃を加へ、小篆はこの書き方を繼承してゐる。説文解字の釋は小篆によつて説を立ててをり、本義ではない。
甲骨文は人名に用ゐる。《合集》3033子畫疾。また地名に用ゐる。《合集》28319王其田于畫、擒大狐は王が畫の地で田獵し大狐を捕らへることを指す。畫は地名で、傳世文獻における齊の畫邑のこと。『史記・田單列傳』(上揭) 裴駰『集解』引劉熙曰齊西南近邑。字はまた戟、棘、あるいは澅につくる。畫邑は澅水に因りて名を得る。『水經注』又有澅水注之、水出時水、東去臨淄城十八里、所謂澅中也。
金文では訓じて琱となし、雕飾を指す。王臣𣪕戈畫胾、厚必(柲)、彤沙(緌)、無叀鼎は戈琱胾、厚必(柲)、彤沙(緌)につくり、「戈琱胾」は雕飾のある戈を指し、戈の長柄と、戈の紅緌(飾り)は、同じく賞賜の物。また彩繪(上繪、色繪)を指す。小臣宅𣪕白(伯)易(賜)小臣宅畫盾は、伯懋父が小臣宅に繪の描かれた盾を賞賜したことをいふ。『尚書・顧命』畫純は、彩帛(彩織物)の鑲邊(緣飾り)を指す。孔安國傳彩色為畫。
戰國竹簡では讀んで劃となし、劃開(切り開くこと)を指す。《上博竹書二・子羔》簡11、10懷厽(叄)年而畫(劃)於伓(背)而生は、孕むこと三年、(女の)背を開いて子を取り出すことを指す。
秦簡では本義に用ゐ、繪を描くことを指す。《睡虎地秦簡・為吏之道》簡1-2凡治事、敢為固、謁(遏)私圖、畫局陳畁(棋)以為耤(藉)。全句で凡そ政務を管理し、敢へて己の意見を堅持する人を裝ひ、私謀を制止し、棋盤を描き棋子(石や駒)を竝べて借りることを指し、政事を處理することは弈棋(圍碁、將棋の類)を見習ふことを求めると謂ふ。
傳世文獻では多く圖畫を指す。『爾雅・釋言』畫,形也。『周禮・考工記・畫繢』畫繢之事、雜五色。また繪畫を指す。『釋名・釋書契』畫、繪也。以五色繪物象也。後に転じて計策、圖謀の意。『玉篇・書部畫、計也、策也。『史記・淮陰侯列傳』韓信謝曰、臣事項王、官不過郎中、位不過執戟、言不聽、畫不用、故倍楚而歸漢。
當用漢字・常用漢字
《漢字表字體》

説文解字
晝𦘙日之出入、與夜爲界。从省、从
𦘘 籒文晝。
康煕字典
日部
チウ
解字(白川)
の會意。日の周圍に小點を以て暈(かげり)を加へる。
説文解字に日の出入りとして、夜と界を爲す。の省に从ひ、日に从ふとするが、畫を以て晝夜の分界とし、これを劃分するといふのは理に反する。
時を示す語としては卜文、金文に見えず、籀文、篆文の字形も確かなものとし難い。もし字の上部が𦘒に从ふものならば、𦘒はと同じく、呪してものを祓ふ意象の字であるから、日光の暈を祓ふ法を示すものであるかもしれない。『周禮・春官・眡祲』にいふ十煇の一である瞢などに當たるものであらう。
説文解字は晝を畫部に屬するが、畫は方形の楯に彫飾を施した形で、晝と聲義の關係を求めがたい。
解字(藤堂)
筆を手に持つ姿と、日を四角に區切つた形の會意。日の照る時間を、ここからここまでと筆で區切つて書くさまを示す。一日のうち、主となり中心となる時のこと。夜(腋にある時間)に對する言葉。
解字(落合)
甲骨文はの周りに輝きを示す指示記號を加へた字。(補註: 日の周りを短線で圍ふ形。)
上の異體字に、日にを加へたものがあり、これが後代に繼承された。恐らく聿は聲符。聿はヂュツに近い音だつたと推定されてゐる。
字の下部は隸書で旦の形に變化した。
解字(漢字多功能字庫)
甲骨文、金文は、に從ひ、白晝の意を表す。構形初義不詳。一説に聿は聲符といふ。聿と晝は聲母が近いが、韻部はとても違つてゐて、この説は成立しがたい。一説に晝は木を立てて時計となし日影を測つて時辰を定めるを象り、後に轉じて日中の時分の專字となつたといふ。また、手に筆を執つて日を畫くの意で、畫を示して日夜の境を表すといふ。
甲骨文では白天(晝間)を表す。《合集》22942今晝。金文でも白天を表す。㝬𣪕余亡(無)㝩晝夜は、我は日夜とも暇がない、といふ。
戰國竹簡でも白天を指す。《上博竹書四・曹沫之陳》簡10-11不晝寢は、晝間眠らないことを指す。
傳世文獻でも多く白天を指す。『廣雅・釋詁四』晝、明也。『詩・豳風・七月』晝爾于茅、宵爾索綯。」鄭玄箋「「女(汝)當晝日往取茅歸、夜作絞索以待時用全句で、汝は晝間茅草を取り、夜は繩を綯ふ、といふ。また、地名に用ゐ、春秋の頃の齊の城邑で、今の山東省淄博市の西北にあつた。『孟子・公孫丑下』三宿而後出晝。後に地名を以て姓となす。『通志・氏族略三』晝氏、『風俗通』齊大夫食采晝邑、因氏焉。
當用漢字・常用漢字
《漢字表字體》昼
《人名用許容字體》晝