■ Les chansons d'Alphabet ■

 
 
 
Souvenir

 
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無花果の園

正門

  外に出ると、夜はすっかり更け、もう店の扉も閉まっていた。どうしようと見つめ合いながら、ふと黙る。先まであれ程話していたのに。あの喧騒が消え落ちて、扉の外は静まり返った通りだ。
ただ、何処へとも無く歩き出していた。石畳には硬い靴音が響く。空には満月。冷たい冬の星の銀の夜。冬の夜の鈴のような音が空に張り詰める。通りを入ると、夜空はメディナの天蓋に覆い隠された。
もう間も無く、時刻は日付を越えようとしていた。ゆっくりとただ、メディナの中を歩いていった。僅かでも人の声のする方へ、光のある方へ、と少し怯えながら。

既に、どの通りの店も、すっかりと戸を下ろしてしまい、看板の装飾も暗く静まり返り、街灯だけが灯っていた。昼間の呼び声は、果てしない挨拶は、雑踏は、何処へ行ってしまったのか。
通りから通りへと曲がる。仄かな水煙草の匂いの残るカフェ。甘い香りの混合が立ち籠める香水街。蛍灯の途切れたビジュトゥリー(宝飾)通り。既に、どの通りを歩いているのか、判然としなかった。思いもかけない袋小路。
とうとう、二度も同じ通りに出てしまい、顔を見合わせて微笑った。可笑しいね。可笑しい。迷ったみたい。ここに住んでる人なのに。この中に住んでいるのじゃないもの。
何処へ行こう。ただ、入り組んだ道を折れ曲がり、歩いていく。

それは、細い裏通りだった。未だ蛍灯が仄紅く点っていた。一杯の禁じられた酒を求めて、辺りを眺め回した。
奇妙だった。それは、淋しく、それでいて異様に赫らんだ色彩で彩られていた。静かだが、何処かに僅かに人の行く気配がしていた。
道端にぽつんと、若い女の子が街灯を浴びて立っていた。ゴージャスな赤い巻き毛にみすぼらしい貌立ち。ピンクのテラリとしたミニスカート。白い毛皮のついたブーツが鈍く光っている。手には散らしと思しき紙の束を抱えていた。
その人は、女の子の前でつと立ち止まると、「こんな冬に寒かろう」と紙を取った。にこりとして来て下さいねと言う女の子に、うんと応える。けれども、本当は明日、出国するのだった。
その人は優しい人だった。とても、優しい人だった。

つと、立ち止まって、その人が身を寄せた。不意のことで驚きの眼で見ると、首を傾げて、何を怖がってるのか、寒くないかと訊く。安堵して、寒くないと応えた。けれども、本当は薄い上着一枚に、既に身体は冷え切っていた。その人は、微笑いもせず、ただ、いいから着なさいと、外套を着せ掛けてくれる。温かい。
いつとも知らず、いつの間にか、手をつないでいる。何処へ行こうか。何処へ。

その通りの終わりには、まだ一つだけ開いている露店があった。紛い物の装飾を売る店だった。
露店商は呼び込みをするでもなく、静かだった。その静かさも、似つかわしくない金色の髪と白い肌も、何処からどう見ても異国人だった。
外人の露店の前でその人は言った。「記念に何か買ってやろう、何でも好きなものを選びなさい。僕も買うから」
逡巡していると、指輪を選んで渡してくれた。渦巻く花模様。銀の蔓草は指には少し大きすぎた。
露店商は立ち話すると、随分遠くへ行くんだね、と驚いて、ほんの少しだけまけてくれた。自分も遠くから来たせいだろうか。
これから何処へ行くのかと訊かれて、分からなかった。この道は行き止まりだよ、別へ行きなさい、この道ではないよと言われて、また二人して戻って行った。

このまま、何処へ行こう。何処へ行くのだろう。何処か遠くへ。
夜に紛れてしまいたいとも願ったが、いつも道の先は袋小路で、どこにも出られなかった。この夜を何処へも行くことはできなかった。
ふとした拍子に、メディナの外へ出ていた。冷涼な夜風が降りて来た。そっと手が離れる。月明りの下、優しい微かな笑みが、眼差しに宿り耀いているのを見た。破顔一笑。温かな声。道はここで分かれていた。大きすぎる外套を脱いで手渡した。
そのまま、ゆっくりと背を向け、其々の道を歩き出す。振り向きもせず。指には燃える星のような月の光のような花の蔓。放たれた指先からは言葉も記憶も温かみも夜に吸い込まれていく。

冬のあの日の後、露天商はあれから新しい土地へと行ってしまったのだろうか。あの女の子はまだ、夜半に散らしを抱えて立ち尽くしているのだろうか。ピンクのミニスカートに白い冷たいブーツで凍えながら。
もう一度、手をつないで歩いて行けるのなら、袋小路のその向こう、歩いて行けるのなら、探しに行ってみようよ。夜を探しに行ってみようよ。
 

Souvenir◆思い出
 
 
無花果の園
正門