翌朝、川辺に行くと昨日の男が待っていた。挨拶がわりの無意味な微笑を交わす。舟は思ったより大きかった。帆もあり、機関もついている。よろよろと這い入るようにして中に入ると、男は直ぐにエンジンをかけ、舫いを解いた。ごとごとという音を立ててエンジンが動き、舟は岸を離れてゆく。まるで眠るように流れのない川の水の只中へと。
濁った川の水をかき分けながら、舟は遡りはじめる。
村の家や田が途切れると、川の両岸には、鬱蒼と生い茂った木が現れた。根や枝を水に浸しながら迫ってる森が続く。垂れ下がった枝には、赤や黄の花が咲き、燃える色彩が川に落ちると、ゆっくりと沈みもせずに流れてやってきた。舟は川を遡る。エンジンの音だけが低く響く。重い川の水を押しわけながら上る。

同じ様な川の流れを見ていると、また、暑い日差しを遮って雲がどんよりと垂れ込めてきた。空気もまた重みを増す。そしてスコール。雨が激しく降り注いできた。当たると痛いほどの打ちのめされそうな雨だ。船室の屋根を叩き、川を打ち、鼓膜を破りそうな水飛沫の音で辺りを満たす。水のガムラン。男も船を止めると、船室に避難してきた。
そのスコールもまた過ぎ去ると、森の中から、長く長く引く鳥の鳴き声が聞えてきた。目では見えないその鳥を、どんな姿だろうかと、想像して見る。孔雀のような色とりどりの羽をした尾の長い鳥だろうか。何を呼び交わしているのか。色んな方角から聞こえてくるようだった。
強い日差しが再び船の上に差し込んでくる。

漸くして、船頭の男が川上の森の方を指差した。僅かに傾斜した丘陵。森の中から小さな建造物が見えていた。あれが神殿だ。神殿。昔の建物だ。
遠目からはそれが何なのかはよく分からなかった。年月の間に蔦と苔に覆われてしまっているのか、緑の中からようやく岩のような建造の肌が覗いているだけだった。あれを見たいと言っていたのだろうか。何があるのだろうか。分からなかった。
だが、船頭は岸へと舟を向けていた。小さな船着場のようなものさえあるではないか。これが終点。降りて探しに行くがいい。

舟を降りると、湿った木の船着場から土手に渡った。もう濡れた緑の匂いが立ち込めている。船頭に手を振る。と、ゆらゆらと手を振り返しながら、網など投げているのが見えた。
森の中には細い道が出来ていた。先ほど見えていた小さな建物を目指して上る。樹木には何かの蔓草が絡み付き、樹皮は苔むして翠色に染まっている。その根本には羊歯と白い釣鐘のような花をつけた草が生い茂っていた。やたらと雨露が葉先から滴り、まるで今も小雨が降っているようだった。密度の高い空気。あまりの濃密さに息苦しいほどの。水と花の濃厚な甘い匂いが空気の中に満ち満ちている。体中が汗と雨の滴で濡れていたがそれさえも気にしていられなかった。空気をかき分ける。
湿った朽葉を踏みしだいて道を進んだ。そして、ふっと木々が途切れて、開かれたその先に小さな建造があったのだった。今やすっかり緑に覆われているこれが、以前は何かの遺跡でもあったのだろうか。造りはまだしっかりしているようだった。中には入れるのだろうか。
少しく立ち止まって見ていると、葉に埋もれていた扉が内側から開くのが見えた。


 
 
 
 
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無花果の間
正門