夜空に昇ろうとするのは満月だった。月光は薬草園を満たしていく。夜光に咲く花は繊細である。一切の音を嫌う。
言葉を封じられてラナアはただ床几に腰を下すのみ。元より薬草園の女は多くを語らない。
夜鳴鳥の声が時折響く。風に木の葉が揺れる。二人は待った。一言もなく。自然と眼差しは俯き、五感に夜が触れていく。
月光の所為かラナアの顔は次第に蒼褪めていった。沈黙の時が過ぎるほどに、奇妙に怖れが身を満たすかのようだった。夜の花の庭園はゆっくりと甘い芳香を放ち始める。幾ばくかの時が流れたか。
不意と、吟遊詩人は立ち上がった。無言のまま夜の庭園を抜けて行く。薬草園の女はこれも無音にその後を追った。ラナアは緑茂る小道を抜け、もう一つの庭園へと歩む。その足取りは確信に満ちて鋭い。
同じく月光の中浮かび上がる庭園の花は、昼間とその色を変えていた。宵闇全てが染められて…。無音の花園に立って、終に言葉を発した。
「そうだ、この花だ」 |
吟遊詩人の囁きが夜に落ちた。
「それは白い薔薇だ」
薬草園の女が答えた。
「だが、蒼い」
「それは月の光の所為だ」
吟遊詩人は黙す。そして囁いた。
「蒼い花なんだ」
「そうだ、この花だ。姉が髪に刺して踊っているのを私は見た」
「あの夜、私は郷から逃げ出したのだ。私は私の声が良いのを知っていた。だが、家にいれば嫁に行くより他の道はない。私は旅に出たかった。夜中、姉が馬を盗んで逃がしてくれた。同じ季節だ。あの蒼い花が山道に咲く時だ」
「月夜だった。逃げ出すには良い夜だった」 |
|