■ 第24回 【再録】言葉遊びいろいろ
●アクロスティック
日本語では折り句といいます。俳句でも短歌でもできますし、もちろん自由詩でもできます。言葉の最初の音や、各行の最初の音を拾ってゆくと言葉が浮かび上がってくる、それがアクロスティックです。高度なアクロスティックだと、最初の音だけではなく、最後の音を拾ったり、斜めに読んだりしても意味ある言葉が出てくるものがあります。
ことばあそび例文1「あきのそら」(佐々宝砂)
蜻蛉(あきつ)舞ふ 清らの里の 野の風よ 蒼天に病む 襤褸(らんる)ぞ吾は
これは短歌仕立てになっています。このタイプのアクロスティックは大昔からあって、伊勢物語などの古典にも登場します。海外では、『不思議の国のアリス』を書いたルイス・キャロルがアクロスティック大好きで有名。ちょいと可愛い女の子がいると、すぐその名前を織り込んでアクロスティックにつくってプレゼントしていたそうです。もっとも、アクロスティックを恋人に贈ったからとて、恋がかなうかどーかは保証しません。ちなみに私は、大昔アクロスティックを誰ぞに贈って玉砕した経験が……(下の詩ではありませんぜ、念のため)。こんなものはお遊びです。あくまでお遊びなのよう。
ことばあそび例文2「あのひとは記号よりほかになにもくれない 」(佐々宝砂)
φ(..)夜がやってくると σ(^o^)は 決まって!と?の大海にくりだし しらくらすれちがう会話を交わす てんで勝手に (‥?には (‥?と答える流儀で
送信情報は饒舌をもって貴しとなす らしくもない『 』という記号がそこにまじると なぜかいつも(..)σ は (ノ≧o≦)ノ あるいは (^_^;; いいよどんで (#^_^#) っときたら上等の部類なのである
恋のように{ }が痛むのは (..)σ の記号のせいだと 文章書き自称の癖して(爆) σ(‥) には巧く言えなくて はずかしくて (T_T) だの (>_<) だのも打てはしなくて ただ (..)σ と σ(‥) のあいだには てらった(*゚▽゚)彡とか(o^-')v とかがあって 書面の最後はいつも明るく(^O^)/~
●回文
上から読んでも下から読んでも同じなのが回文です。「たいやきやいた」とか「たけやぶやけた」なんていうたぐい。バカにしてはいけません。回文だけで書かれた本を出してしまうヒトだって、世の中にはいるのです。このヒト、土屋耕一という人です。一応名前を覚えておきましょう。『軽い機敏な仔猫何匹いるか』という傑作回文集を角川文庫から出していたのですが、残念ながら絶版です。また、私が幼稚園か小学校低学年のころ、『つつみがみっつ』というタイトルの絵本を福音館書店こどものともから出していました。そちらを覚えている人もいるでしょう。
ことばあそび例文3(作者不明)
長き夜の 遠(とお)の眠(ねぶ)りの 皆目覚め 波のり舟の 音の良きかな
「か」と「が」の音を同じと見なして読まないと回文になりませんが、これは大昔から日本に伝わる回文短歌です。これを紙に書いて枕の下に敷いておくといい夢が見られるとか。……いい詩が残るとは限りませんが、いい回文は残ります。土屋耕一の名が忘れ去られるとしても、彼が作りだした傑作回文「かるいきびんなこねこなんびきいるか」「わたしまけましたわ」「てつだうよなんどもどんなようだって」などは、日本語の骨組みが変わらない限り、ずうううううっと残るでしょう。回文はそういうものなのです。回文作者の名前は流通しませんが、回文そのものは流通するのです。ところで、私はヘンな家で育ちましたので、家族でひまつぶしに回文をつくることがありました。まだ覚えてるものをいくつかあげておきます。 ことばあそび例文4
なんみんみんな(作、佐々宝砂の弟) トッポいポット(作、佐々宝砂の父) 伊予が狐は寝付きが良い(作、佐々宝砂の母) やるせないわざわいなせるや(作、佐々宝砂)
●そのほかの言葉遊び
要するに、一定のルールを守って書くのが言葉遊びです。「いろは歌」も言葉遊びの一種です。いろは48文字を全部使って、同じ音は二度と使わないという実に厳しいルールのもとに書かれているわけです。これはおそろしく難しいです。私は、18歳くらいのころ、ひとつくらいはいろは歌を作っておきたいものだと思い、必死になって考えましたができませんでした(いろは歌をいくつも作っていらっしゃる方は尊敬に値します)。いろは歌は超高度なウルトラスーパー言葉遊びなので、初心者は挑戦しない方がいいです。
和歌に多い「掛詞」も言葉遊びの一種だと言えます。ひとつの言葉にふたつ以上の意味を詰め込む、というのがそのルール。いろは歌ほどではありませんが、これもなかなか難しめです。小野小町の有名な短歌「花の色はうつりにけりな徒(いたづら)に我が身よにふるながめせしまに」あたりが掛詞の最高峰でしょう。現代詩で掛詞を使って成功したという例はあまりないようです。萩原朔太郎が詩集『氷島』の中で「後尾灯」と「恋人」を掛けていましたが、これはいかにも苦しめでした。谷川俊太郎が「どんなもんだい」と「問題」を掛けていた方が、ずっと面白い掛詞だったと思います。
アナグラムという言葉遊びもあります。これは言葉の音を並び替えて、意味が通じる別な言葉を作ることです。たとえば「サルでもわかるレトリカル」を並び替えて、「われもかりるとでるかるさ(我も借りると出る軽さ)」なんてのにします。たまにミステリなどの小説で使われます。詩にはいまいち使いにくいですが、ヒマなときにはことわざや有名人の名前などでアナグラムを作ると面白です。
ルイス・キャロルがアクロスティック好きだったということはすでに書きましたが、彼は他にもたくさんの言葉遊びにトライしています。中でも彼のお得意は、コンタミネーション=かばん語というものでした。これは二つの単語を合成し無理にくっつけてこれまでなかった単語を作りだし、元のふたつの言葉を意味をなんとなく一度に想起させるものです。これを使ったものとしては、『鏡の国のアリス』に挿入された詩が有名です。佐々宝砂の翻訳を下にあげておきます(あくまでお遊びです)。
ことばあそび例文5(ルイス・キャロル作 佐々宝砂翻訳)
あぶりのときに トーヴしなぬら まんまなかにて ぐるりと犬かき きりりとじゃいる なんとよわれなボロームの群れ やなれたラークはうなくさめくか
まああまり上手い翻訳じゃありません(^^;; 「きりりとじゃいる」はジャイロコンパスと錐(キリ)を無理に結びつけたもの、「うなくさめく」は「うなる」と「くしゃみ」と「さえずる」が一緒になったものです。これは、過去にいろんな翻訳者が苦心惨憺している詩です。興味があったら、原文や各種の翻訳を参照してみてください。
このほか、暗号も言葉遊びの一種と言えます。ある一定のルールの元に書かれているのですから。暗号を使った詩というものがあるかどうか、私は不勉強にして知らないのですが、詩にしたてられた暗号は存在します。詩だと、言葉の選び方の不自然さが散文ほどあらわにならないからです。しかし、暗号である前に詩である、という詩は、あまりないように思います。私はそう考えて以前暗号詩を書いてみたのですが、いまいちうまくいきませんでした。
ことばあそび例文6「La Madrigal Chiffre」
すき透る十三夜とぎれた会話を惜しむ 出逢うとしてもそのさきは五里霧中 きらきらとまたたく七夕飾りをさげていても すくすく伸びた若竹は四季を知らぬまま枯れる
がくがくと堕ちてゆけばああ八面玲瓏の異界 たかなりゆく旋律を三角錐に閉じこめ なみなみと注いだ酒杯を干せば四面楚歌 あだなす波は二階まで押しよせる
羅刹の指し示す罪を七色の虹と見て愉しむ からまる風よ水よ土よ火よ四大の精霊よ 秋風の吹く時がくれば双六は終わろう
のどもとの傷を三面鏡に映し見る愁い 年ごとにあれてゆく五感をかなしみ 去る風に焦がれまたあおられる二心よ
言葉遊びのルールは、自分で作ってもかまいません。小説の例ですが、筒井康隆の『残像に口紅を』は、筒井康隆が自分で創案した「使える音を少しずつ減らしてゆき最後には使える音がなくなる」という恐ろしいルールに基づいて書かれた壮大な言葉遊びです。『残像に口紅を』を書いているあいだ、筒井康隆はワープロのキイに画鋲を貼っていたそうです。言葉遊びもここまでゆけば鬼気迫る……。
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