20091024日土曜 やっと届いた市のインフルエンザ受診票、早速仕事の途中に持って行った
20091026日月曜 タンが絡み咳き込む状態肺炎の兆候と施設から連絡が来た、診察を受けた方がいいと思いますが看護士にもう一度経過を聞き再度連絡との事、熱も無くただタンが絡む状態で現状なので様子を見ます
20091030日金曜 昨日介護の途中でチューブに傷が入り径管中に液が漏れる、時期は早いがチューブの交換が必要です、急に言われても器具が取寄せなので、病院に連らして処置が何時出来るか確認を頼みました、最速で月曜日になり午前1015分までに受付を済まし診察の予定が決まりました
2009112日月曜 10時前に病院前で待ち合わせだったが、来たのは1020分予定では15分前に受付を済ます事になっていたが残念、チューブ交換は難なく15分程度で済み肺炎の兆候が見られると施設からの要望で胸のレントゲンを撮り内科で診察、結果は呼吸・脈拍・熱も正常で咳き込む事も無く診断結果は大丈夫との判断、でも一応投薬で処方箋を頂いたチューブ交換は早かったが内科の診察と会計処理でほとんど待つ事のみ2時間中処置は5分だった¥3.690
20091117日火曜

今週初め1116日巡回診察で、健康状態が思わしく無いと担当医から有りました。呼吸状態が荒く肺炎とも思うが年相応にと考えられます、以前より心不全の兆候もあり親族に前もって報告をして置いた方が良いと言われました。

20091118日水曜 面会に行く、呼吸も荒く苦しい苦しくは感じませんが時折むせる
20091120日金曜 先日と変わらない、顔色も良く車椅子で皆と一緒に昼食をしていたが落ち着いていた
20091125.日水曜 変化は見られず、呼吸も少し荒いが寝ている
20091128.日土曜 来週の月曜(30日)定期健診の時に担当医と面談し、延命処置回避に署名する事にした 横浜の親族には葉書を出し近状報告を済ました。
20091130.日月曜 午後2時検診時間に会い担当医から説明を聞き、同意書に署名した。
2009121.日火曜 朝一番看護士さんより連絡あり、今朝の検診で呼吸が肩で戻す様になり酸素摂取量も落ちています。横浜より安男夫婦と鎌倉の叔父夫婦(母の弟)が見舞いに来られた問い掛けに目を開け反応もあり呼吸も小康状態を保ち安定して来たみたいです、部屋では会話も進み賑やかに感じた其の後東京中野の次男(弘)面会に来られ思い出話もいろいろ出ました。四男(勉)に連絡結果本人は癌手術後再発し再度入院中との事、見込みは半年と見られる。午後四時過ぎに安男の車で次男叔父は帰り四男の見舞いを兼ねて今後の話を聞く事で帰った。午後五時半ごろ栃木の次女光子も娘の幸子の運転で母の見舞いに訪れた長い道のりで四時間近く掛けて来てくれた、後は長男の清が来れば一応兄弟での面会が済む予定では明日安男が電車に乗せて此方で迎えに行く予定兄も数年前に脳梗塞を患い一時は如何なるか心配でしたが最近は不便であっても普通の生活に戻った様にも見える。午後七時様態も小康状態と見て、看護師にお願いし帰宅した。
2009122日水曜 小康状態で血中酸素濃度も98%前後で安定しているからか、今日は処置室から元の四人部屋に移動していた朝10時、昨日の連絡で横浜の本家長男 清と四男勉が面会に来ると言っていた、雨模様で仕事の都合も付いたので安男の車で来る。午後2時過ぎ施設に到着と電話があり向かう、四男勉は病状が良くないのか顔色が悪かったが一応元気に成ったと言っておいた、みんなの呼び掛けにも見る仕草もあり、呼吸は以前と変わらないが元気に見えた午後3時過ぎに雨の中を帰っていった。
2009123日木曜 仕事が終わる前、19時部屋に戻ってる婆ちゃんの様子が良くないと相談員が言う、肩で息をしているし酸素濃度も下がり、危機状態だと話す 即処置質に移動酸素吸入の準備をしてくれた始めは3リットル程度で送り多少安定した時点で1リットルに下げその後0,5と下げた、血中酸素濃度も最初は100%を示し酸素量を下げても98%で安定している、一度会社に帰り再度施設へ今夜は徹夜で見守る事にした。
2009124日金曜 徹夜で見舞い7時に会社へ向かう、寝不足で重苦しい体と眠さが襲う昼休み再び施設に行き様態を聞き朝から同じ小康状態だった意識も有った。
2009125日土曜 午前中施設に行く、上体は昨日との変化は無く酸素補給は0,5リットル程度で血中酸素濃度は98%を維持していた。午後6時様子を見に行く午前中と状態の変化は無く酸素補給も0.5で安定している、暫く様子を見ていたが昨日の徹夜が応えてふらふらする感じ睡眠を取って置かないと今後何が起こるか分からないので帰る。
2009126日日曜

5時半電話で起こされた、施設の鈴木さんから朝の径管栄養補給中に意識が無く呼吸も止まってるようだ、直ぐに向かう看護士の診察結果では死亡と断定、施設担当医の検診を待つ事にした午前730分診察結果死亡、永眠と確定 死亡診断書の受渡しは日曜のため

明日月曜日午前9時過ぎに発行する。

看護士さんの御世話で個人の体も綺麗にして頂、施設の霊安室に安置して頂きました、安男に連絡し横浜方面兄弟親戚に連絡を頼んで、葬儀等の打診と打合せに向かう三島では古くから有る葬儀社(ときかわ)にお願いした家族葬でひっそりとやる事を伝えた、日程等の詳細は死亡診断書を受け取ってから取決めとなるが、市営葬祭場の霊安室に安置出来る予約が取れ、午後430分搬送し安置した午後5時でした、明日の打合せ時間と場所を約束し分かれて、通夜・葬儀に遠方から来る兄弟の宿泊場所を確保するため近くのリオドライブイン(昔の名前)に伺い10人から15人程度の人数で大部屋三室を確保、通夜葬儀の送迎も受け入れてくれた。
2009127日月曜 死亡診断書の受け取り930分、指定通りに行ったが待たされた葬儀社と詳細打合せの前に、あかなすの里にコピーを渡す予定だったが葬儀の打合せを先にした、途中で施設に渡すコピーを済まし悠々ホールに行き、細部に渡り相談決定した。
2009128日火曜 横浜から安男夫婦が葬儀に相談に来た、葬儀社との見積結果に納得いかない部分があり再度見積の打合せを当人直接交渉してもらう事にし案内し分かれる、交渉の結果葬儀予算は半分近くまで下がり兄弟45人で均等に負担する金額も楽になった。気に成ったのは生花の額だ一万五千円で消費税を入れると一万五千七百五十円 高いかも顕花して頂く方々に負担が大きい事が心残りだ。
2009129日水曜 明日からの通夜・葬儀最終打合せ、ときかかわ葬儀社と細部に渡り決定した、会社には夕方帰る前に1011日と休む事と葬儀の件伝えた。
20091210日木曜 通夜、当日午後5時、1時間前にみしま聖苑に向かう準備は大方整っていた生花を頂いた方に御礼用に各写真と全体を撮り、待つのみ兄弟身内も順次集まり久し振りに会う、みんな元気だった参列頂いた個人的付き合いの方も公にせず少数と成りましたが兄弟と家族で無事通夜を終える事が出来た。宿泊予定も最小の4人栃木と横浜の兄弟で寂しい夕食を見越し、三島一家と息子夫婦の孫で同席し賑やかに夕食と大浴場の風呂を味わい今日一日が終わる。
20091211日金曜 葬儀、1030分遠方より雨で天気が悪い中順次集まって来た、なんら問題も無く告別式・初七日と済み出棺の花も生花がたくさん有り花に飾られ見送った火葬の間、精進落しも兼ねて昼食し遠方の家族には留守を預かる人にと御弁当もつかして置いた、6年近く三島で暮らした母 本家の横浜には先祖の本尊と父の位牌もあり早く本家に帰る事が一番と考え長男に預けた、四十九日の法要と納骨は実家の菩提寺にお願いし117日に向けて、長男に代わり六男が取り仕切る事で任せた。
20091214日月曜 役所の手続きは、後期高齢者保険・介護保険・年金保険と複数があり、本籍役場の除籍済み謄本が最終的に必要であり近い内に横浜の市役所に行く予定。
長い人生ご苦労様でした
おばあちゃん、最後のページ