アラブ・マグレブ・中東付近をテーマとした小説の紹介
 
郷愁のモロッコ
「郷愁のモロッコ」
エスター・フロイド 著 
小野寺 健 訳
河出書房新社
アラブ文学というのとは少し違うと思っているのだが、フロイトのひ孫であるエスター・フロイドが幼い頃のモロッコでの実際の体験を元にした小説である。ケイト・ウィンスレット主演で映画化もされている。
1960年代、二人の娘を連れてイギリスからモロッコへ渡った若いヒッピーの母親とその娘の日々を次女の視点から描く。マラケシュでの日々、若い大道芸人ビラールとの出遭い、ビラールの故郷の村への旅、ラマダンの風習、また、姉のビーを残してアルジェリアへスーフィーのシェイクを訪ねた時のことが綴られていく。そして、終章、ついに三人はビラールと別れてイギリスへ帰ることになる。
まだ幼い主人公を小説の中心にしたことで、物語にはエキゾティシズムではなく、純粋な好奇心が現れているように思われる。子供には、比較する自文化の持ち合わせが少ない。二人の子供も、時折イギリスのクリスマスやお菓子のことを語るが、モロッコでの日々の描き方にあるのは、イギリスとの違いという点からではなく、全てをただ新しく見聞きした物として全てを扱う子供らしい視点を感じるのである。それは、子供たちの言葉遊び「hidious」と「kinky」の繰り返しや、出鱈目な唄にも現れているように思う。

しかし、子供の視点から描くということは反対に見落とされている点があるようにも感じる。映画を先に見ていたため、そのうちで印象に残っているシーンを期待していたのだが、それは原作にはなかった。
映画化された時点で、主人公は子供から母親に移されており、そこには、人種・民族の違いという現実にある問題が捉えられていた様に思う。
例えば、母親にホテルの経営者だったか、織物商だったかが自国を語る場面がある。この国は駄目だと。ヨーロッパ化し、発展しなければならないと。この場面が印象に残るのは、それを語るのがモロッコ人自身がそう語るからである(記憶は曖昧なので間違っている可能性もあるが)。アラブ人の多くは自国の文化を西洋化することから守らなければならないと語るが、時折ヨーロッパ化し、経済発展することを目指すべきだと語る人もいる。そこからは何か、屈折を感じずにはおれない。
また、神秘主義に憧れ、イスラム教に関心を抱く母親が、湖の側で過ごしている時、ムスリムの礼拝を行っているシーンがある。それを見たビラールが言うのである。「君はイギリス人なのに、何故ヴェールを被ったり祈ったりするんだ」そんなことはしなくてもいい身分なのに。という意味であったのだろうが、ここにもまた、ヨーロッパと旧植民地、制度化したイスラムへの反発とヨーロッパへの憧れとが複雑に入り混じった感情を生み出しているのが捉えられていたのではないか。

60年代のヒッピー文化、精神世界への傾倒なども描かれており、そういう観点からも面白い。ヒッピー・ムーブメントの時代、多くのヨーロッパ人が西洋価値観を乗り越えるために東洋(インドや仏教)へ傾倒したことは知っていたが、イスラム神秘主義に傾倒した白人もいたことについてはあまり知識がなかった。この中にもインド人のグルからマントラを教わるシーンもあり、悟りを求めて放浪した彼らの姿が表われている。この部分に関してもこれが母親の視点から描かれていればもっと面白かったのだがと思われる部分ではある。



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