アラブ・マグレブ・中東付近をテーマとした小説の紹介
 
大地
「大地」
シャルカーウィ 著 

河出書房新社
エジプト南部の農村を舞台に、1930年代、シドキー政権下の農民たちの様々な生き方を書いた小説。
始めに登場する主人公の「僕」は、カイロで勉強中の小学生で、その視点から、輝くような生気に満ち溢れた、村一番の美しい娘、ワシーファのことが語られる。村の番兵卒頭の娘で他の娘たちが黒いガラビーヤを纏っている中、ワシーファだけは色物のガラビーヤを身につけている。
そして、ワシーファを愛する男たち、アブドル・ハーディー、ムハンマド・エッフェンディ、家族、そして村の人々、というように、物語は少しづつ視点を変えながら、遠いカイロでの民族運動のざわめき、人民党政権による悪政の影響などがこの辺鄙な農村にまで及んでくる様子を描いている。

視点は一定せず、始めと終わりを締めくくる「僕」はその間、殆ど姿を見せることがなく、村人から見た「僕」の存在も描かれないので、本当に狂言廻しのような存在になってしまっている。
また、解説にもあるが、ワシーファの性格も、始めは因習を飛び越えるほどの気丈さであったのが、徐々に、強いながらも家族に従順な娘へと変わってしまっている。
解説を読んで、これが新聞に連載された小説ということで、納得は行く。ある種、三国志演義や西遊記のように、「語り物」として、一章一章が一つの物語としてまとめられていて、それが少しづつ連続して一つの流れを描き出す、という形になっているのだ。

小説としてみれば、確かにそう言った瑕疵はあるものの、この物語は読んでいて非常に面白い。小説中に取り上げられる理想化されたのどかな農村風景ではなく、貧しさや困難さを描いてはいるのだが、「血は水よりも濃いんじゃねえのか」と、幾度も出てくる争い・諍いを乗り越えて、村人たちは最後には必ず一致団結していく。これもまたある意味、一つの理想化ではあろうが、その争いから仲直りへの変化が面白い。
農民が持つ「農民」と「アラブ人」との区別意識も興味深い。我々から見れば、エジプト人=アラブ人という意識があるのだが、ここには、「アラブ人」は外部の人々であるという民族的な違いが時折現れてくる。これは、エジプトでのトルコ支配のせいなのか、また、この農村のある地域故なのかは分からなかったが、エジプトという大きな国を理解するためには、そういった地域性も重要ではないかと気付かされる。

また、小説中、幾度も歌を歌う場面があり、歌詞が折りこまれている。これも、音楽と共にあるエジプトの生活風景を彷彿とさせる。読んでいるだけでは分からないが、恐らくは有名な歌もあるのであろう。
この音楽、そして、エジプトの本当に地方の口語で書かれたと言うこの小説の文章そのものが、耳で聞くことができたなら、更に心に響くものとなるのではないか。そう言う意味でも、口承文学の伝統の影響を感じさせる小説である。



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