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蘭の会 三周年記念 連載コラム

新 サルでもわかるレトリカル 会員番号000b 佐々宝砂



■ 第35回 意識の流れ
えーと当サルレトは、今月でいったんシメ、終わりにする予定でございました。ところが終われないということがわかりました。なんで終われないかって、えーとその、あのですね、わーははははは、つまり今月の佐々宝砂はお盆で多忙だったうえ隣家が葬式で夏恒例のキャンプにも行けず花火大会も見られず、要するに時間がとれなかったので、最終回に相応しいようなまともなサルレトが書けなかったのでありました。

謝りますっ! まことにいい加減ですみません。サルレト最終回は来月にいたします。とりあえず謝罪いたしまして、今月は、先月の続きのようなことを書こうかなと思います。

もう10年ばかり前から疑問に思っていることなのですが、真実を書くことは可能なのでしょうか。感じたまま見たままをありのままに書けるものなのでしょうか? 私には書けません。性格的・思想的な理由で書けないのではなくて、ただ純粋に、私の才能では、感じたままみたままを書くことは不可能だと思っています。でも、書ける、と主張するひとびとがいます。嘘つけ書けっこないだろ、と私は言いたいのですが、言わずにいます。もめごとはなるべく避けたほうがいいですし。

新サルレトの第一回で、私は萩原朔太郎を引用して、「思うことを書きたい」で行きなはれ、と書きました。あのとき私は、「思うこと」とはいったいなんなのかきちんと考えてませんでした。思うこと。思うこと。思うこととは、本当に、一体全体なんなんでしょう? 思う。考える。感じる。その流れを描写することなんて、できるものなんでしょうか。

世の中は広くて歴史があります。なので、思うことをそのまんま書いてみようとした文学者たちの一派というものが存在しています。彼らは意識というものが静的なものではなく動的なイメージや観念が流れるように連なったものなのだと考え、「意識の流れ」という言葉でその概念をあらわしました。意識の流れの手法をとった有名作家に、ジェイムス・ジョイスとヴァージニア・ウルフがいます。しかし、意識の流れという考えを文学作品に生かした最初の人は、ジョイスでもウルフでもありません。メイ・シンクレアという怪奇・恐怖小説畑の女流小説家です。

私も怪奇屋さんですので、恐怖に陥った精神を描こうとすることがあります。ところがなかなか簡単に書けるもんではないのです。恐怖に陥った精神は混乱し、連想は連想を呼び、オモテの意識で抑えている深層意識がときどき噴出し、それをありのままそのままに描こうとしたら困難をきわめるはずです。メイ・シンクレアという人は、その困難にあえて挑戦した人なのではないかなと私は思っています。

「思うことを書きたい」として、それはそれでいいとして、「思うこと」とはいったいなんなのか突っ込んで考える、考えれば考えるほど話がややこしくなってゆくことに気づくでしょう。

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会員随時募集中/著作権は作者に帰属する/最終更新日2007-08-14 (Tue)/サイトデザイン 芳賀梨花子

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