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蘭の会 三周年記念 連載コラム

新 サルでもわかるレトリカル 会員番号000b 佐々宝砂



■ 第34回 直截と直接、素直と安直
えーとまずはお知らせであります。実は来月で当サルレトはいったん最終回にする予定です。いやあまだ紹介してないレトリックの手法はたくさんあるのですが、ずーっとダラダラ続けていると、途中でダレたり話が進まなくなったりいいから加減(いい加減よりひどい)になったりします。まあ適当なところでいったん締めて、しばらく構想を練り直して、いずれ再開いたします。まあ長くやってるといろいろありまして。えへへへ(なんだこの笑いは)。

先月は、普通に考えて「比喩でしか伝えようがないことがある」ということを説明したわけなのですが、今月は、「あえて比喩なんか使わないで表現する」とかなりヘンテコになる場合がある、ということを説明したいと思います。…と、今月は私にしてはわりと素直にお知らせと文章の主旨から書き始めました。何事もこのよーに直截言えばいいのでしょうか。「直截」と「直接」は、読みこそ同じ「ちょくせつ」ですが意味は微妙に違います。「直接」は「間に他のものをはさまないで接すること」。「直截」は、「1 すぐに裁断を下すこと。また、そのさま。2 まわりくどくなく、ずばりと言うこと。また、そのさま」(Yahoo!大辞泉より引用)。私が使っている「直截」は2の方の意味です。

比喩なんか使わないで事実を素直に言えばいいじゃない、てな言い分は常に存在するものでありまして、それはそれで一理あります。では事実を伝えれば素直かというと、実はそうじゃなかったりします。なぜそうなってしまうのか。事実というものは1つじゃないからです。えー事実は1つだよ?と思ったあなたは浅くて甘いんですよー。ふふふふふ。今日は7月14日の土曜日です。私は赤いTシャツを着ています。テーブルの向こう側に夫がいてテレビを見ています。中国の食品はいろいろと問題があるんだとテレビで言ってます。これらはたぶん事実ですが、とりあえず詩のレトリックにはまるきり関係ないです。ええ。世には、伝えなくてもいい事実や、テーマには一見無関係な事実というものがものすごくたくさんあります。そしてそのような、テーマには一見無関係な事実だけを伝えるレトリックというものがあります。そしてそうなるともう「素直」じゃないのです。

たとえば時間経過を表現するとしましょう。

例文1
君が去ってから八年の時が経った。

例文2
君が去ってから、アメリカ大統領選挙が二度あった。

例文3
君が去ってから僕は29220本の煙草を灰にした。

この3つは一応似たような事実、八年の時間経過を表現しています。アメリカの大統領選挙はご存じのように四年に一度。それが二度あったということは少なくとも八年以上経過したということです。そして一日に煙草を10本吸うとするなら、八年間で29220本の煙草を吸うことになります。どれも事実だとして、でも、アメリカの大統領選挙で時間経過を表現するのはあんまり素直じゃない気がします。まして、煙草の本数で時間経過を表現するのは、まるっきり素直ではない気がします。そんな気がしてしまうのは、これら大統領選挙や煙草の本数が事実だとしても、時間経過の表現としては直截な表現ではないからです。時間が経ったと言えばいいものを、わざわざ間に選挙や煙草をはさんでいます。このような表現は、事実を事実通りに書いているにもかかわらず、レトリカルな表現です。あなたはどうかわからないけれど、私はこの手のレトリカルな表現がとても好きです。ちょっと村上春樹的な気もします。一方、私があまり好きじゃない表現は、たとえばこんなもの…

例文4
君が去ってから僕は八年もの悲しい歳月を過ごした。

なんと言ったらいいのかな、この例文4は事実を伝えていません。八年と言えばわりと長い年月です。「君」が「僕」とどういう関係だったか知りませんが、「君」が「僕」にとってどんなに大切な人間であったとしても、「僕」が八年間もただ悲しく過ごしたはずがありません。もしかしたら八年間ただ悲しく過ごせる人がいるかもしれませんが、少なくとも私には、無理です。下らないテレビを見て大笑いすることもあるし、美味い飯を食べて嬉しいなあと思うこともあるだろうし、ちょいと素敵な異性を見てちょいとときめくこともあったりする、それが普通の人間とゆーものです。つまり、八年間悲しく過ごすという表現は、非常にデフォルメされた不自然な表現です。デフォルメ(誇張)はレトリックの1つです。それはそれでいいんです。いいんですが…えーと。ちょっと書きにくいところに来たなあ、えーと。

例文4のような表現を「素直な表現」と呼ぶ人がいます。私はそう思いません。例文4のような表現は誇張された表現だと私は思います。素直に書くなら単に八年間が過ぎたと書けばいいんです。「八年もの悲しい歳月」という表現は、日常生活の枝葉を切り落とした安直な表現なんじゃないかなあ、と私は思ってしまうのでした。ちなみに「安直」は「簡単で手軽なさま。また、いい加減なさま」です。「素直」は「ありのままで、飾り気のないさま。素朴」です。ありのまま飾り気なく書くなら、八年間にあった出来事を嘘いつわりなく書かねばなりません。ただ悲しく過ごしたわけなどないのだから、「八年もの悲しい歳月」は素直な表現じゃないと思います。自分のありのままを見つめていない、自分に都合良い、格好付けた安直な表現だと思います。

これはあくまでも、「私はそう思う」ってことです。

今月は書きにくくて書かなかったことを書きました。来月もう一度直喩をやって、サルレトはいったんサヨナラです。ま、もう一回あるわけなのですが。

ま、今月は課題なしで、チャオ。

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会員随時募集中/著作権は作者に帰属する/最終更新日2007-07-14 (Sat)/サイトデザイン 芳賀梨花子

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