Web女流詩人の集い□蘭の会□新サルレト

蘭の会 三周年記念 連載コラム

新 サルでもわかるレトリカル 会員番号000b 佐々宝砂



■ 第33回 いよいよ直喩だ! その2
直喩とは何か、ということを説明するためには、比喩とは何か、についても説明しておかなくてはならない。というわけで、先月の課題は「比喩とは何か?」だったわけなのですが、そんなものは辞書なり百科事典なりを引いたり、あるいはネットで検索したりすりゃ簡単に答えられること、でもあったのです。たとえば模範解答の一例。

比喩とは、字・語句・文・文章・出来事・作品全体などの物事を、それと共通項のある別の物事に置き換えて表現する手法である。(ウィキペディアより引用)

まあ間違ってません。この通りだと私も思います。しかし私個人としては、以下のように答えたいと思います。

比喩とは、いろいろなものごとを、真実よりも真実らしく感じられる嘘や、真実よりもわかりやすい嘘などに置き換えて表現する手法である。

ポイントは「置き換えて」の部分です。それともうひとつ、ウィキペディアでは「別の物事」と書かれ私の意見では「嘘」と表現されている部分です。つまり、比喩とは、真実そのものではなく、ものごとの本質を突くものですらなく、表現したい何かを、表現したいそのものとは別な何かに「置き換える」ことなのです。何かを何かに置き換える。それが比喩というものなのだと私は考えます。なんでもとのそのままをありのまま書いてはいけないか。別にいけなくはないです。ありのまま伝えられるなら伝えたらいいのです。でも、ありのままに伝えようがないことは世にたくさんあります。

たとえば、頭痛で病院に行ったとしましょう。「先生、頭が痛いんです」と言うと、お医者さんはたぶん「どんな風に痛いんですか」と尋ねます。そりゃそうです。頭が痛くなる病気はたくさん種類があって、それぞれに痛み方が違うので、お医者さんは「どんな風に痛いか」を尋ねて診断の材料にします。あなたは、どんな風に痛いのかを、比喩なしで説明できますか?

「とにかく痛いんです」
「それじゃわかりません」
「ものすごく痛いんです」
「強い痛みなんですね。つまりどんな風にすごく痛いんですか」
「あーもーとにかくガンガン痛いんですっ」

「ガンガン」という言葉が出てきてしまいました。直喩ではないので一見比喩ではないような気がしますが、「ガンガン」や「ズキズキ」などの擬態語はオノマトペ(=声喩)と言って、比喩の一種です。「ガンガン」も「ズンズン」も「ヅキヅキ」もなしで説明してみましょう。

「えーとですねこめかみのあたりがこう・・・」
「こめかみがどうなんですか」
「うーん、誰かがこめかみを強く押し続けているような・・・」
「そんな痛みなのですね」

お医者さんは納得しました。他の問診も必要でしょうが、たぶん偏頭痛という診断が下されるのではないかと思います。でも上の問答でははっきり直喩が使われていますね。太い文字になっている部分の「ような」が直喩であることを示します。実際には誰もこめかみを押したりなんかしていません。そんな感じがするだけなのです。こめかみを押している誰かなんかいないということをあなたはよく知っています。知っているのに、「誰かがこめかみを強く押しているような・・・」と表現して、その表現は医者によく通じました。あるいは、あなたは、以下のような症状を訴えるかもしれません。

「えーとですね、額の上側のあたりなんですが、なんだかデキモノができて、
そこが、針で刺すか電気流すかしたみたいに痛むんです」
「ああそのように痛いんですね、ちょっと見せてください」
「はい、ここです、ここが痛いんです」
「わかりました。帯状疱疹の可能性があります。検査をしましょう」

これまた直喩が使われています。誰も針で刺してなんかいません。それは医者もあなたもよーく知っています。このようなときに、あなたは「誰かが私の頭を針でちくちく刺すんです」とは表現しないと思います。上に書いたように「針で刺すみたいに」とか「針で刺すように」とか、直喩を使って表現するはずです。なぜ人はこのようなときに直喩を使うんでしょう。ついでにもうひとつ頭痛の例。

「えーとですね。孫悟空の輪っかがはまってるみたいなんです」

このひとはたぶん緊張性頭痛のような気がします。こういう感じを被帽感=帽子を被っているような感じというらしいです。まあ正しい診断は医師に任せるとして、われわれは直喩について考えてみましょう。医師は、医師自身が頭痛持ちでない限り、頭痛の痛みを正しく理解することはできません。たとえ医師が頭痛持ちであるとしたってあなたの頭痛とは種類が違うかもしれないので、やっぱり正しく判断できるとは限りません。医師は、あなたの言葉を頼りにどのような症状か判断することができるだけです。一方、あなたはリアルに頭痛がするのです。しかしそのリアルな頭痛の痛みを伝える方法は、おそらく比喩以外にはないでしょう。比喩、特に直喩かオノマトペを使って間接的に伝えるしか方法がないと思います。なぜそうなのでしょう。

なんとなく、比喩の本質に近づいたような気がするのですが、気がするだけかもしれません。今月の課題は、

■なぜ頭痛の痛みは直喩か声喩によって表すしかないのか?

いや、腹痛の痛みだっていいんですけど、ね。

<<前へ  次へ>>


蘭の会へ戻る

会員随時募集中/著作権は作者に帰属する/最終更新日2007-06-14 (Thu)/サイトデザイン 芳賀梨花子

- Column HTML - [改造版]