Web女流詩人の集い□蘭の会□新サルレト

蘭の会 三周年記念 連載コラム

新 サルでもわかるレトリカル 会員番号000b 佐々宝砂



■ 第28回 プロットと視点(再録です・・・)
プロットは筋書きです。誰がどーしてこーなった、という、お話の筋書きのことです。

小説は、基本的にお話ですから、極端に実験的な前衛作品は別として、普通はプロットを必要とします。行き当たりばったりに書き始めて結果的にプロットが立つ場合と、最初からある程度のプロットを構想してから書く場合とありますが、いずれにせよ最終的にはプロットが存在することになります。でも、詩はそうじゃありません。詩にはプロットがない場合があり、むしろそういう詩の方が多数かもしれないのです。

というわけで、詩の分類にからむ話になってきます。詩というものを大まかに三分類すると、叙情詩と叙景詩と叙事詩にわけられます。プロットを必要とする詩は主に叙事詩です。叙情詩や叙景詩に、プロットは必ずしも必要ではありません。この三分類からはみ出す作品、たとえば言葉遊びの詩にも、プロットは不要です(あったっていいですけど……)。

で、プロットが絶対的に必要な詩「叙事詩」。これは元々は英雄の物語などを詩に仕立てたもので、基本的にお話です。ユーカラなんかがこれにあたり、詩の種類としては非常に古くからあるものですが、現代ではややすたれています。でも今も叙事詩を書くひとはおります。たとえば私は叙事詩を多く書く人間です。蘭の会月例詩に投稿した私の詩「おまん瞑目」や詩学4月号に掲載された私の詩「春紅葉」などは、主人公がある種の英雄(とゆーか女傑)になってまして、典型的な叙事詩です。もっともいまの世界に英雄なんておりませんから、私たちが書く叙事詩的な詩の主人公は、そこらへんにいるフツーのひとであったりします。

叙事詩を書く場合にプロットを最初から立てるか立てないかは、作者の資質に関わる問題ですし、いろんな場合もありますので、メリットとデメリットは一概に言えません。ただ、かなり長い連作を書く場合には、プロットを立てておかないと書きにくいし、自分でわけわかんなくなったりしますし、ヘタすると辻褄あわせのために全作品書き直しということにもなりかねませんので、プロットを立てておいた方が無難ではあります。

私自身はプロットを立ててから書く人間ですが、プロットも何も考えないで書きはじめて長い連作ができちゃった!ということもないではない。私の「LOVE STORY」という6作からなる連作がそうです。ひとつひとつの詩のプロットは、その詩を書くたびごとにちゃんと最後まで構想しましたが、6作全部を貫く最も重要なプロットは、最後の作品を書くまで自分にもわかりませんでした。実を言えばどこでどうやって連作が終わるかもわからなかったのですが、6作めを書いたら「ここで終わりだ」とやっとわかりました。「LOVE STORY」はプロットを立てたらうまくいかなかった詩ではないかと自分で思います。

プロットを立てて書くことの最大のデメリットは、自分に考えられる範囲のものしか書けないということでしょう。ある程度の筋道を自分でひいてその道をゆくのですから、作者自身が自分の作品に意外性を感じるということはありません。たまたまいいのが出来ちゃった!ということは、プロット立てて書くとあんまりないのです。でもプロットなしで書くとなぜか大傑作が書けちゃったりします。そういう「たまたま」の傑作は、しばしば凄いものになります。

そういうことをわかってて、でも、私は、プロットを立てて書くことを提唱したいです。

プロットなしで叙事詩を書くのは、眼をつぶって矢を射るようなものです。たまたまあたることはあります。あたれば凄いです。でも、悲しいかな滅多にあたりません。あたらない方が多いです。プロット立てずに書いてもそれなりに叙事詩をビシバシ書くひとがいるかもしれないけど、そーゆーのはとっても才能豊かな大天才の仕事です。フツーのひとは、プロット立てないで10作叙事詩を書いて、1本いいのがあったら上出来の部類だと思います。私は凡人なので、眼をあけて的を見つめていないと矢を射ることができません。狙いを絞って書く、あらかじめプロットを立てるやり方は、むしろ、平凡な才能しか持たない人間の方法なのです。

あらかじめプロットを立てることのメリットはいくつかあります。ひとつめは、作品に大きな矛盾が生じないこと。あらかじめ筋道が作者にわかってますから、整合性のある作品になりやすいわけです。

ふたつめは、構成や語りの工夫次第で読者を騙したり驚かせたりヒントを与えたりがしやすくなるということです。たとえば、推理小説は、あらかじめプロットを立てておかないと書けない(あるいはえらく書きにくい)文学のひとつです。推理小説の作者は、一応、あらかじめプロットを立てて、犯人が誰か考えておいて、その犯人が読者に容易にはわからないよう、しかしある程度のヒントを与えてよく考えればわかるように、書かねばなりません。プロットを立てているからこそ、読者に犯人を隠しておくことができるのだし、ヒントを与えることもできるのです。プロットなしで書き始めた推理小説の作者は、読者とほぼ同じ立場で犯人が誰か考え出さねばなりませんので、ものすごーくたいへんです。

みっつめは、これ裏ワザなんですが(笑)、実はひとつのプロットを立てると、いくつも詩が書けちゃうのです。要するに、プロットは使いまわしがきくのです(笑)。まああんまり使いまわしばっかするのはよくないですけど、ひとつのプロットで何通りかの詩を書いてみると、詩の練習にもなるので、いちどやってみるとよいと思います。なんなら有名な昔話のプロットをそのまま使って、意外性のある話に仕立てることもできます。そーゆーのも詩の練習になります。私がよく使う手です。

たとえば人魚姫のプロットをそのまま使うとして……(人魚姫のプロットはご存じですよね)

まず、プロットは、視点の変更でいくつもの物語に分岐します。普通の人魚姫の物語は、カミサマ視点で書かれています。語り手は、人魚姫の気持ちも王子さまの気持ちも、彼等の過去も未来も知っています。カミサマ視点でない場合は、人魚姫の視点から書かれてる場合が多いです。王子様だいすきとゆー人魚姫の気持は書いてあるけど、最後の場面になるまで王子様の気持はわからない書き方になるので、カミサマ視点で書くより意外性のあるものになります。これをたとえば、王子様の視点から書いてみるとどうでしょう。王子様からすると、順風満帆な人生に突然見覚えのない素性の知れない口のきけない女の子が現れて、じとーーーーーっと自分を見つめているわけで、よく考えてみるとかなり無気味です。ストーカー人魚姫(笑)なんてのが書けるかもしれません。あるいは、王子様の婚約者の視点から書いてみても面白いです。突然やってきた怪しい女の子が、婚約者という自分の立場を危うくする。婚約者は人魚姫を憎むかもしれません。でも、もしかしたら、人魚姫の純情に気づいて、彼女の最期に涙するかもしれません。意外なとこで、魔女の視点から書くのもよさそうです。カミサマ視点とちょっと似た感じになると思いますが、魔女には魔女の悲哀や歓びがあるでしょうから、これはこれで詩になります。

他に舞台や時代の変更という方法があります。小松左京が舞台を未来の宇宙に移し替えて、「人魚姫の昇天」という素敵な小さなおはなしに書いています。王子様は宇宙飛行士で、人魚姫は、水中生活ができるよう研究開発された水棲人種ということになってます。

以上、プロット自体は、元の人魚姫と全くかわりがありません。ひとつのプロットからは、無限に小説や詩が生まれます。あらかじめプロットを立てるとか立てないとかでなく、こんなふうに、既にあるプロットを利用することもできるのです。

<<前へ  次へ>>


蘭の会へ戻る

会員随時募集中/著作権は作者に帰属する/最終更新日2007-01-14 (Sun)/サイトデザイン 芳賀梨花子

- Column HTML - [改造版]