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蘭の会 三周年記念 連載コラム

新 サルでもわかるレトリカル 会員番号000b 佐々宝砂



■ 第11回 ずるずるだるだるゆるゆる
サボると話がどこまで進んだかさっぱりわからなくなります。書いてる私ですらそーなのですから、読んでるアナタはもうとーっくにこの連載のことを忘れてしまっているのでは・・・と恐れつつはじめる今回サルレト。何をやるつもりだったか、全く忘却し果てております。忘却とは忘れ去ることなり。つか当たり前ですね、これ、と書きつつ実はこっそり以前の復習をはじめていたりするのですが、「忘却とは忘れ去ることなり」というこの菊田一夫の名文句は、前々々回にやった反復法の一種です。反復法のなかでも特にトートロジーというモノです。しかしトートロジーは意外に難しい。ちょいと外すと悲惨このうえないボケになります。「復習とは復た習うことなり」ってやっても面白くもなんともないのはなぜなのか・・・佐々宝砂がバカで菊田一夫がエライのか・・・

と書きながら、実はどこまでを今回の「前置き」にするか考えていたりします。前置きは要らないっちゃ要らないのですが、佐々宝砂は前置きが好きなので毎回前置きを書きます。なぜかしらん前置きの方が人気があったりします。そのうち前置きがどんどん長くなって本文より長くなるかもしれませんが、そうなったら前置きとは言いません。当たり前です。前置きだけでは「サルでもわかるレトリカル」になりません。それでは困ります。そもそもなんで「前置き」を置いたのか忘れるからそーゆーことになります。「前置き」は導入部です。いきなりこむずかしーことを言うと読みにくいだろうから肩が凝らないことから書いておこ、と読者のことを考えて前置きを置くわけです。何も佐々宝砂の趣味でのみ前置きがあるわけではありません。

前置きがずるずる長くなってしまうパターンは、主にふたつあります。ひとつは、今現在佐々宝砂が陥ってる状況です。つまり、書き手自体がまだ文章の主題をつかんでおらず手探りしながら書いているため、なかなか本題に入らないでずるずる思いつくまま書いてるという状況。そんな状況下でもなんかの間違いでよいものが書けるときもありますが、そうそう間違いは起きないものなので、たいていはなんかわけのわからん冗長な文章になってしまいます。まあなかには思いつくまま書いてなんとかなる人もおりましょうが、少なくとも私はダメダメです。もうひとつのパターンは、書き手が構成のことを全く考えていない場合です。断言してしまいますが、構成がちゃんとしてない文章はダメダメ以下です。文章を書き慣れている人は、思いつくまま書いてもなんとなくきちんとした構成で文章を書くものです。私はそれなりに書き慣れているので(自分でそーゆーかよ)、思いつくまま書いてもこのとーりなんとなく構成ちゃんとしてます。だからダメダメではあってもダメダメ以下にはならんのです(ほんまかよ)。

構成とは、文章の全体のかたちのことです。文章もイキモノですから頭があっておなかがあって尻尾がある。かどうかは知らないけど、導入部があって本文があって結末があるのは確かです。導入部というと「導き入れる」という言葉から連想するように、肩の凝らない気軽な感じのものや、序盤にふさわしい緩い感じのものが多いです。でも入試の小論文じゃないのですからそーゆーのばっかじゃつまらんですね。導入部からがつんと一発かますとか、いきなり話が終わったところからはじまるとか、そういう構成で書いてみると楽しいです。私はおしまいから書くのが好きです。小説家にもおしまいから書くのが好きな人がいます。

とここまで書いて気付いたのですが、構成の話をするまえにプロットの話もしておいたほうがいいのかなあ・・・でもそれって叙事詩にしか関係ない話かなあ・・・うーむ、と悩みつつ、今回のゆるーいサルレトは終わるのです。


○課題10「おしまいから書く」
おしまいから書くとはどーゆーことなのか考えてみましょう。(今回は宿題もゆるいぞ・・・)

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会員随時募集中/著作権は作者に帰属する/最終更新日2006-02-14 (Tue)/サイトデザイン 芳賀梨花子

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