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蘭の会 三周年記念 連載コラム

新 サルでもわかるレトリカル 会員番号000b 佐々宝砂



■ 第10回 夫婦善哉
夏です。夏休みです。なんとキャンプ地のテントのなかでこれを書いてます。うーん、出かける前に書いておけばよかった・・・8月31日に夏休みの宿題をやるタイプだった夏ボケ佐々宝砂、まあ、今さらこういう性癖は直りません。読者のみなみなさまもお盆まっただなかにレトリックのお勉強なんていやよねーねーと無理矢理同意を求めつつ、今回は落ち込んでいたりするのであります(だから原稿遅れとんのや、許してぇ)。

実は、前回連載にわかりにくいとのクレームをいただきました。「サルでもわかる」を謳っている身としては大ショック、読者サマにわかってもらうにはまだまだ精進が足りなかったらしいです。まー反復法なんてものを説明するのは実際のところ野暮な話でして、要は「単純な繰り返しも立派にレトリックである」「何のために繰り返すか効果をよく考えて繰り返そう」という2点さえわかってくれりゃ、それでひとまずOKです。

で、反復法の話はこのへんでやめて、今回は対句(ついく)について書こうと思います。対句はかなり詩的なレトリックだと言えます。リズム・音の雰囲気・繰り返しにくわえて対句を無意識に使いこなせるようになれば、あまり考えなくても「詩のようなもの」がすいすい書けるようになります(と思います)。もともとは漢文のテクニックだそうですが、演歌やJポップの歌詞にも対句は頻出します。ゲームやマンガのナレーションにもよく使われます。むしろ現代詩にこそあまり使われてなかったりして・・・(悶

対句の定義そのものは単純です。今回時間がないのでYahoo!辞書から引いてしまいます。キャンプから帰ってきた佐々宝砂ですが、初盆のハシゴで脳味噌がパーなのです。


ついく 【対句】 Yahoo!辞書 大辞林より
修辞法の一。並置された二つの句が語形や意味上、対応するように作られた表現形式。詩歌・漢文・漢詩・ことわざなどによく用いられる。「万丈の山、千仞(せんじん)の谷」「男は度胸、女は愛敬」などの類。


なんかわかりにくいなあ。てなわけでサルレト流にかみ砕きます。んーと。まず。対句ってのがどういうものかというと、ふたつ以上のの句でできた文章がいくつか並んでいて、どの文章もそれぞれの言葉の長さがなんとなく同じで、それぞれの言葉の品詞が同じで、でも、言葉の意味は対になってるような感じがする、そーゆーものです。品詞以外は厳密でなくてよいです。いやこーやって説明してもわかりにくいなあ。やっぱり例文を出してみましょう。


例文1.対句(になってない例)
夜は海
朝が来る


これは対句になってない例です。「夜は/朝は」の部分は品詞が同じ名詞で、意味上でもきちんと対応していますが、「海/来る」は字数こそ同じですが品詞が違っているうえ意味も対になりません。「夜は海」という比喩が詩的にみえてもそんなこと関係なくこれは対句ではないのです。


例文2.対句(になってるけどバカな例)
夜が去り
朝が来て


これはきちんと対句になっていますが、だからなんじゃいという例です。対句があればよいというもんではないです。レトリック使えば巧いというもんでもないです。というふたつの文章、なにげに対句になっていたりします。そう、対句は散文にも使えるのです。


例文3.対句(だらけの詩作例)

蜂の翅より
はるかに儚い翅です

はらはらとはなやかに
花火ははぜるので
はたはたとはげしく
旗ははためくので

儚い翅は

はずみはねる春に
はにかみ
はらみはぐくむ春に
恥じらい

歯がゆいからって
はやしたてないで
派手に励まさないで

果てて墓場に
灰掃き寄せるまでには

儚い翅も
羽ばたくでしょう
裸の針も
はじけるでしょう


↑これは私の作品「五十音頭韻ポエム[は]」全文引用です。厳密な対句じゃないのですが、少なくとも三箇所に対句があります。どこに対句があるのか考えてみてください。というのが今回の宿題ではなくて、今回の宿題は、


○課題9「対句」
対句を使って詩を書いてみましょう。


ところで今回のタイトルが「夫婦善哉」なのは、佐々宝砂がサルレトにかかりきりで夫婦ゲンカしたからです(だからなんだよー)。言葉も夫婦もよき対でありますよーに(と無理矢理「対句」につなげてみる)。


参考文献:「日本語レトリックの体系」

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