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蘭の会 三周年記念 連載コラム

新 サルでもわかるレトリカル 会員番号000b 佐々宝砂



■ 第1回 まえせつ
 えーと佐々宝砂です。ある意味おひさしぶりです(爆)。その昔、まだ私が若かったころ(笑)、私は、某詩人ギルドのレビュウで「サルでもわかるレトリカル」通称サルレトというタイトルで、初心者向き詩作入門みたいなコラムの連載を持っておりました。しかし、鬱病になったり向精神薬常習者になったり不眠症になったり叩かれたり撫でられたり吊されたりニセモノが登場したりといろいろありまして、連載は挫折、そうこうしてるうちにギルドのレビュウそのものが休止になり、サルレトもあえなく打ち止めになってしまいました。ま、はじまったものはいつか終わるのでそれはそれでいいとして、鬱病が治癒傾向にある佐々宝砂は、今回またしつこくサルレトを蘭の会にて再開することにいたしました。前とは違うぞという意味で「新」をつけて「新サルでもわかるレトリカル」です。月イチ更新、終了はいつになるか未定です。今後よろしくお願いします。

 で、今回は蘭の会での連載ですので、蘭の会会員をめちゃくちゃえこひいきした連載にしようと思っています。どのようにえこひいきするかといいますと、まず、蘭の会内部でサルレト講義を先行公開します(と言っても一日程度先行するだけですが……)。第二回講義より、講義最後に課題を出しまして、蘭の会会員に課題提出していただきます。次の月までに内部でお答えします。蘭の会会員でない女性は、いますぐ会員登録しましょう。蘭の会に入れない男性のかたがたは涙しながら悶えましょう(笑)。どーしても宿題出したいという男性陣の要望が多くなったら、男性陣の詩の掲載について再考します。

 てなわけで新生サルレト第一回、はじまりはじまりい。

 昔でた小説の書き方の本を見ると、よく、「こんなもん読んどらんで原稿用紙に向かってはよ書け」と書いてあったものです。今はどうか知りません。今は、昔と違って、「××の書き方」なんてもの読まずにどんどん書いてるヒトが多いと思います。発表場所がたくさんありますし。ブログも各種ありますし。書きたければじゃんじゃん書けるし、実際書いているヒトがたくさんいる。これを読んでいるアナタも、おそらくすでに何かを書いています。それを前提に、私は訊ねたいと思います。

 なぜ、書いてるの?

 私の場合は、たぶん単純になんか書きたいからです(をぃ)。なんで書きたいのか、よくわかりません(をぃ)。書きたいという強い衝動だけがあり、本人もそれを自覚しています。実は、そんな人が多いんではないかと思います。ゲージュツ性を追求したいわけでもなく、詩集を売ってナンボで生活したいわけでもなく、マスコミにとりあげられてちやほやされたいわけでもなく、ただ書きたいから書いてる。売りたくて書いてるとしてもそれはそれでかまいません。というか誰か売れてください。できれば爆発的に売れてください。お願いします。という話をはじめると話が逸れるので、続き、次の質問です。

 何を、書きたいの?

 この質問に対する答は十人十色だろう、とお思いになりますか? いえ、私はそう思いません。詩人に限らず人間というものは、個性的にみえて、意外と類型的なものです。類型をぶっこわすのはクソ難しいことです。ぶっ壊せるものならば、お願いします、とっととぶっ壊してください。と言っても、既成のものをぶっ壊して何か新しいものをつくったとたん、それは「新しい類型」になってしまいます。それを覚悟したうえでぶっ壊してください。ぜひとも。なんて話をするとまた話が逸れてしまいます。今回まえせつのテーマは、「あなたが書きたいのはどんな詩か?」ということなのです。

 たとえば、こんなことを詩に書きたい、という例をいくつか考えてみます。他にもあるかもしれませんが、とりあえずよっつ。

1.思いを書きたい。
2.経験を書きたい。
3.好きな何かについて語りたい。
4.日々の暮らしをスケッチしたい。

 4の「日々の暮らしをスケッチしたい」というのは、正直退屈です。いえ、それを否定するわけではなくて、それはものすごく文章修養になるので、どんどんやってほしいとは思うのです。が。スケッチとゆーのはスポーツでいうとストレッチみたいなのものでして、若くて身体が柔らかいのにストレッチしかしないとゆーのではつまんないです。ストレッチしかしないのは、若いころ運動しなかった年寄りです。若い人はもっとがんがん派手に動きましょう。でも、派手に動き回るまえに、準備体操としてスケッチもしましょう。もともと才能豊かだとしても、ストレッチくらいしておかないとケガしますから。ネタが尽きたり、スランプに陥ったりしたときも、スケッチはおすすめです。書きたくねぇ!と思ってもおすすめです。っつーか、てめぇらスケッチくらいしろっちゅーの。

 で、3の「好きな何かについて語りたい」。車や料理について語ってもよいのですが、この場合の「好きな何か」はやっぱりブンガクということにしておきましょう。とかく好きなブンガクについて語りたがるやつ。佐々宝砂がさよーでございます。同格に並べるのはなんですが、寺山修司もそうです。澁澤龍彦もそうです。自分自身ではなく、自分の外側にあるものによって自分を語ろうとする愛情豊かな(?)ヒネクレモノ(または超絶照れ屋)のやりかたです。この手の人は、批評家・書き替え作家・パロディ作家・パスティーシュ作家・盗作家・ビブリオマニアなどなどと呼ばれます。ろくな呼ばれかたされませんが、このたぐいのことをしたい場合は、とにかく本を読みまくらねばなりません。しかし、山のよーに読めば、才能がなくともなんとかなります。ヒトが知らないものを読んで、ヒトが知らないことを書けば、それでそれなりに感心してもらえます。っつーか、てめぇら本ぐらい読めっちゅーの。

 あかんあかん。言葉が汚くなってますなー。

 ふつーの人がふつーに思うのは、やっぱり「経験を書きたい」「思いを書きたい」なんだろうな、と推測しております。でもさ。思うんだけど、ひとさまに感心してもらえるほどの経験あるわけ? まあ世の中は広いので、なかには特殊な生い立ちで特殊な経験をつんでる人もいて、そういう人はそれをそのまま書けばよいと思うけど、あと、年寄ってるならそれなりに経験豊富で昔話もできるだろうからそれはそれでそのまま書いてもらえば世間の役に立つので、書いてくださいという感じ。だけど、たとえばあなたが19歳で普通に反抗期を過ごし普通に高校を出て今普通に大学生をやっているのだとしたら、経験自体におもしろみはない(多少は面白いこともあるでしょうけどね)。じゃあ何を書いたらいいわけ? と怒られそうなのでとっとと結論を書きますが、やっぱり「思いを書きたい」で行きなはれ、なのです。しかし正直、難しいですぜ。

 どのように難しいのかは、次に引用する萩原朔太郎の言葉を読んで考えてください。考えるのが、今回の課題です(課題提出はしなくていいです。つーか、蘭の会会員以外はしないでねん)。


「 『どういふわけでうれしい?』といふ質問に対して人は容易にその理由を説明することができる。けれども『どういふ工合にうれしい』といふ問に対しては何人(なんびと)もたやすくその心理を説明することは出来ない。
 思ふに人間の感情といふものは、極めて単純であつて、同時に極めて複雑したものである。極めて普遍性のものであつて、同時に極めて個性的な特異なものである。
 どんな場合にも、人が自己の感情を完全に表現しようと思つたら、それは容易のわざではない。この場合には言葉は何の役にもたたない。そこには音楽と詩があるばかりである。

 私はときどき不幸な狂水病者のことを考へる。
 あの病気にかかつた人間は非常に水を恐れるといふことだ。コップに盛つた一杯の水が絶息するほど恐ろしいといふやうなことは、どんなにしても我々には想像のおよばないことである。 『どういふわけで水が恐ろしい?』『どういふ工合に水が恐ろしい?』これらの心理は、我々にとつては只々不可思議千万のものといふの外はない。けれどもあの患者にとつてはそれが何よりも真実な事実なのである。そして此の場合に若しその患者自身が……何等かの必要に迫られて…… この苦しい実感を傍人に向つて説明しようと試みるならば(それはずゐぶん有りさうに思はれることだ。もし傍人がこの病気について特種の智識をもたなかつた場合には彼に対してどんな惨酷な悪戯が行はれないとも限らない。こんな場合を考へると私は戦慄せずには居られない。)患者自身はどんな手段をとるべきであらう。恐らくはどのやうな言葉の説明を以てしても、この奇異な感情を表現することは出来ないであらう。
 けれども、若し彼に詩人としての才能があつたら、もちろん彼は詩を作るにちがひない。詩は人間の言葉で説明することの出来ないものまでも説明する。詩は言葉以上の言葉である。」(『月に吠える』序より引用)

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