(c)蘭の会 詩集「なゆた」第二集
キキ 魚の祭
「九十九」


「そのはなしは、なんどもしたね」
手をつなぎながらそれでもなんどでもくりかえす
そうしておとなになったわたしたちは
触角のあるいきものになりたくて突然にくちを閉ざしたのだ
六月のくうきはいつのまにかわたしたちの肌のうえで
飽和をむかえてためいきをもらす
「そのはなしは、なんどもしたね」
つちのはなしだそれからつちにおちたはのはなしだそのはをたべるわたしたちのはなしだ
葉にあいた穴からしめり気がもれだしてわたしたちの頬をぬらす
腐りあう、いつかいつか
「こわいよ」
わたしたちは蔭をみつけてはもぐりこむ
「こわかったね」
そうしてくちを閉ざす突然に
ドアを閉める
ばたん!
はばたきのおとだいやじめんにぶつかるおとだいやしょっかくのはえるおとだ
そうして蟲になったころ
つちとおなじ色になりわたしたちは
お互いをたしかめるすべを脳梁のおくの繊毛でころがす
なんどでもころがる
「そのはなしは、なんどもしたね」
そうだ、なんどでもくちにしてなんどでもくちを、
葉切りむしのあけた穴から六月のくうきはもれだして
わたしたちのことばはしめり気ではりついたままにはこばれる
そうしてなにものかのいちぶになるつちになるなにものかのすべてになる
「ふれているのは、せんもうです」
激重画像版:九十九(つづら)

「フラット」


あなたのまつげは仔鹿のしっぽで
まばたきはアリアの細いラ・フラットの音で
耳鳴りはやまない、夜はそのように明け、いつの日も
どこか、ぼんやりと雨垂れている、泣きそう

SUICAをとりだして
パチパチ、駅員さんのはさみの音がひびく
あれはソ・フラット、ごく単純に、耳の痛い音、飽和

傘をひらく、ノクターン
おやすみなさい、を言いわすれて
窓ガラスに水滴が、くもり落ちている、水槽のなかの金魚のようだ
まるで猫に狙われたりして、ね
ちぢこまって、さ
ミ・フラット、危険信号

夜のコドモのふりをして、
スタッカート
世界じゅうのコビトを使役して、居眠りビトをたたき起こす
たとえば、バナナ売りの少年、とか
犬っころ、とか
あなたの髪はくしゃくしゃ
わたしの頬にはりついて、かゆい
くっつきあって悲しい悲しいとつぶやいてばかりいて
ラルゴ
合わせ鏡のむこうとこちらがわで、ただ見ている
パチパチとは開かない穴から、モザイクが剥がれ落ちていって、かぼそい
ディミヌエンド(次第に弱く)
なぐさめ合っている、シ・フラット、コーダ(おやすみ)
また明日
「メニエールの庭」


子午線をたどる道は
ひかりの庭につづき
すれちがうひとの誰もが
やさしい言葉を話しているようなのに
耳のおくに
焼けつく痛みを覚えるのは
きっとわたしの身体のどこかに
名残があるからで
振りかえり、振りかえり
歩くだけの日をただ抱いているのは
まだ
あなたに差しだすものを
なにも持っていないと思うからだ


塀のむこうがわには
白い道がさらにつづいている
待ちあわせの場所を決めたときには
迷うこともないと思ったが
正しい場所がこの世のどこかにあるとも
信じていなかった
わたしはなにも信じていなかったが
それでよかった
あなたは塀のむこうからではなく
同じ道を通ってくるのがわかった
あの道ですれちがうひとびとが
あなたにやさしくあるようにと思い
それが
偽りであるかどうかも問題ではなかった
届かない声は
庭に埋めてしまえ
土があるなら
花も咲くだろうということ


メニエールの午後は
気まぐれに手をのばす
庭に出ればあなたに会える

風が巻くのは
季節のせいだけではなくて
とまどいを
めまいのせいにしたように
痛みはどこか遠くのできごとで
今日こそは
わたしの感情はわたしの肉体に
捨てられたのだとわかった
すれちがうひとびとの誰かが
近しい笑顔で
あなたに言うだろう
土があるなら
埋めてしまえ
その跡に
咲く花があるかもしれないから
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