info@orchidclub.net
http://www.orchidclub.net/




夢幻市場  
いちにはじまりいちにおわる  
濃密な宇宙  
合わせ鏡  































夢幻市場

宮前のん
 

昨日は妻の今年3度めの誕生日だったので     
前から彼女が欲しがっていた 
「耳の底を暖める風変わりな音色」を探しに    
僕は市場へと出かけていった 

市場には色んな出店があって 
例えば ありふれているところでは        
「雑踏の中の鼻歌屋」とか  
「食えるスリッパとつながらない電話の店」とか  
そして通りには沢山の人々があふれていて     
巨大なシルクハットの泣きねずみや        
耳をちょん切られたウサギの娼婦         
首の短いキリンの大道芸人たちが         
ふあふあとシャボン玉のように行き来していた   

僕は  
「かなわなかった夢 または 言いそびれた言葉屋」を
右手に見ながら       
「お母様の中に散りばめられた小さな音色の店」に 
入っていった        

天井や壁から        
様々な忘れられた音色たちが 
まるでガラス細工の風鈴のように         
シャラシャラとぶら下がっていて         
そのひとつひとつに     
僕はそっと吐息を吹きかけて 
丁度いい音色を探していった 
すると僕の左耳のうしろにあった音色が      
水色の優しい小さな声で歌った


         (おなかがすいたら かえっておいで。。。)


(うん これにしよう 気にいったみたいだ)   


「これ、おいくらですか」  

白いワンピースの象の少女は 
レジの中で面倒くさそうに  

「コップ1杯の同情と1番悲しかった想い出」   

と言ったので 高すぎて   
とても買えないと思った   
しばらくその可愛い水色の音色を撫でていて    
やがて あきらめて店の外へ出ると        
天秤棒を担いだ あれは   
「時間の切り売り屋」が   
夕陽に向かってラッパを高らかに鳴らしながら   
過ぎ去った未来へと     
駆け抜けていった

UP↑



















いちにはじまりいちにおわる

佐々宝砂
 

市場の位置は
いつものところ
いっちにいっちにいっちっち
一目散に走っていくよ

***

<パン>

水仙の花は鏡の前に活けることにしている。黄水仙でも
ラッパ水仙でも、水仙の花を鏡の前に活けると、たちま
ち生き生きとする。しかしそれもせいぜい三日間だ。萎
れ始めたら目も当てられない。水仙は気の毒な花だ。甘
く香る小さな白い水仙を鏡の前に活けて、私は二月の北
窓をあける。言伝を持ってくるのは羽根のある繊細な生
き物。うすみどりの羽根は触れるだけでもろく破れる。
蟻の足音よりちょっとだけ力強い声でその生き物は言う、
「パンはきません」「それは知ってる」「パンはいなく
なりました」「それも知ってる」「あなたがパンです」
いやちょっと待って、それは知らない。


***

市場に一番乗りしても
買い物をしちゃいけないよ
だってそこは妖精の市
なんにも食べちゃいけないよ

***

<草>

抜いても抜いても草がある。祖母が亡くなるまでは祖母
が抜いていた。いまは私とこどもが抜く。春まだ浅いの
で、たくさん草があるといってもみな背が低い。ヒメオ
ドリコソウ、クローバー、ムラサキツメクサ、カタバミ、
ハハコグサ、こどもに草の種類を教えながら、やたらに
ひっつかんで根こそぎ抜く。もう少し大きければ食べら
れないこともないが、それほどの大きさではない。それ
にしても草取りをすると腰が痛む。立ち上がって伸びを
して、空を仰ぐ。なんだあれは。目を見張る。巨大な手
がおりてくる。私ではなくこどもをひっつかんで、まる
で根こそぎに、そして天から声が降り注ぐ、ああ、全く、
抜いても抜いても草がある。


***

市場いちめん
いいにおい!
揚げたてのお菓子
熟れたくだもの
すてきに香るジュースと酒
だけど
口にしちゃだめさ

***

<いち>

軌道は計算されている。座標は正しい。おそらくは。時
間移動は常に危険を伴うが、これまでこの機で失敗した
ことはない。それでもいつも不安が消えない。眼鏡につ
いた微細な傷みたいに、私が私であるかぎり消えないん
だと思う。頭を振って、いーち、にーい、さーん、と心
の中で数える。正面のディスプレイに映る風景が歪む。
いや違う、歪んでいるのはディスプレイ自体だ。何が起
きた。衝撃はない。身体に違和感があるわけでも、不快
な感触があるわけでもない。しかしそれでもこれは異常
事態だ。ゆがんでゆく。ディスプレイが。機体が。わた
しが。何が起きているのか。少しずつ思考能力を失って
ゆく脳でかんがえる。むかし、おかあさんが、夜ねむる
前にはなしてくれたっけ。あれは、たしか、ハエのはな
し。ハエといりまじってしまったひとのはなし。わたし
はきっと、いまなにかといりまじってゆく。きっと、い
ちがずれたから。いち。いちってなんだっけ。いーち。
にーい。さーん。


***

あーあ
ちゃんと言っておいたのに!

UP↑



















濃密な宇宙

伊藤透雪
 

卵の中に粒子が満ちて
みっちりと隙間がない
私は震えながら1をなし
時間にいる

通り過ぎる過去を知り
意識を生むものが素粒子の動きなら
流動するエネルギーに過ぎなかったら
感覚はどこから来るのだろう
他者を
触れること見ること聞くこと
それらが受け取るものはどこから
発しているのか

発声の始まりに他者を意識した時から
己に話しているのなら
本当に隣にいるあなたは何者だろうか
意識の中から見えるもの感じるもの
ぬくもりが孤独なら
卵の中はなんて狭いのだろう
この目に映るあなたに触れて
感覚を共有できないなんて
宇宙はなんて虚ろなのだろう

プラスとマイナスの狭間には
反対のものが潜んでいるという
反対にある卵には誰がいるのだろう
触れたら爆発するというスリルを
犯すには遠すぎる

UP↑



















合わせ鏡

ピナ
 

お風呂上がりに
うなじを剃ろうと
鏡台の前で
手鏡をかざす
瞬時に遠くまで廊下が出来て
沢山の私が一斉に並ぶ
さて一番手前の私は確かに
右手にカミソリを持って
うなじを剃ろうとしているが
3人め4人め
5人めくらいになると
段々と遠のいて
こちらから見えないのを
いいことに一体
何を切ろうとしてるのか
鏡の回廊は
ずっと奥まで続いて
どこへ繋がっているのか
ひょっとして
明日の夜逢うはずの
あなたの頬に
カミソリ負けでもあったら
面白いのに

UP↑




















2018.2.16発行
(C)蘭の会
CGI編集/遠野青嵐・佐々宝砂