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椅子  
あかるい岸辺  
赤い夜に  































椅子

宮前のん
 

もう無くなってしまったけれど
昔、実家には大きな椅子があった

それは
所謂「お誕生日席」に鎮座して
大きな背もたれと肘掛けと
ゆったりとした幅広の座面と
ツヤツヤとした茶色の革で覆われた
私の父の椅子だった

そこは全く特別席で
絶対に父しか座れない場所で
もちろん母でも座れない椅子で
いわんや子供達には羨望の場所
仕事から帰った父が
母にコートと鞄を渡して
どっしりとそこに腰を降ろすと
まるで王国の王様が冠をつけて
そこに座っているようだった

寄り添う母を優しく抱き寄せ
膝に多くの子供達を載せて
全ての責任を一身に背負いながら
威風堂々とした父の姿は
子供心に誇らしかった
母はかいがいしく父の世話を焼き
夕食はいつも父が一品多かった
父が出張の日には、その椅子が
父の代わりのように堂々としていた
誰もその椅子に座れなかった
それは王様の椅子だった

もう見かけなくなってしまったけれど
私はあの椅子が大好きだった



 

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あかるい岸辺

佐々宝砂
 

こんなにもあかるい岸辺で
こんなにも頭がずきずきするのは
いったいどうしてなのでしょう
山々に溶け残る雪は
(誰にも踏みこめないところにあるので)
あくまでも白く輝いて
その鋭い白さは
幅広のナイフのように私の目を裂きます
雪のうえには
土に還りそこねた去年の落葉が見慣れぬ文字を描き
私はそれを読みとろうとして
辞書を持っていないことに気づきます

通り過ぎる人の顔にはモザイクがかかっているし
太陽の光は堅固な城塞みたいにわたしをとりかこむのです
私はこのあかるい岸辺に立って
きらきらする雪と川を見ています
夏が来ればこの凍りついた淵も
深い青緑の水をたたえて
私を迎え入れてくれることでしょう
でも今はこんなに真っ白な雪の朝
私は頭痛に耐えながら
目をしばたたくばかりです

岸辺には落葉松の林があって
目をむき髪をふり乱した女たちと
血まみれの赤んぼたちが
鈴なりになっています
ときおり風が吹くと
女と赤んぼは風に乗って
あっちの岸へこっちの岸へ飛ばされてゆきます

自分を見失ってしまうくらいに
大きな声で叫んだら
あっちの岸に届くでしょうか

昨日の夜も
やっぱりこの岸はあかるかったのです
満月と林が
雪のうえに灰色の縞目をつくっていました
月まで登る梯子はありませんでした
川を渡る橋もありませんでした
私を包むやさしい椅子もありませんでした
それで私は
一晩中 この岸辺に立ちつくしていたのです

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赤い夜に

伊藤透雪
 

ベッドサイド
赤い二人掛けのカウチに
もたれかかるTシャツとジーンズ

灯りを落とした部屋
鏡に映る逆さまの世界に
横たえる年月
孤独な皮膚が震える

二人掛けのカウチなのに
何かが足りない
煤けた声色で喉を絡めても
ふさがらない
虚ろな瞳で見つめ合っても
囁く言葉さえ陰の中に落ちて
毛穴のひとつひとつに
陥没してゆく

爛れた粘膜に焼き付く刻印は
誰にも消せないと知る日
滴る命を指先に感じる

昨日
食卓を挟んで食らいついたのは
赤く熟した肉ではなく
あなたの心臓
欠片を拾い集めてかき抱くのは
あなたではない
鏡に映る自分なのだ

泡立つ不安に口づけをしようよ
書き換えることはできないのなら
二人になれない夜を越えて

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2015.6.15発行
(C)蘭の会
CGI編集/遠野青嵐・佐々宝砂
画像/Bazaar Designs