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遠眼鏡  
眼鏡を拭く  
瓶底眼鏡  
洞穴の枠  































遠眼鏡

宮前のん
 

全くオシャレとは程遠い
古びた時計屋の片隅で
その眼鏡を見つけたのだ

何気なしにかけてみると
どうしたことか風景が違う
妻が今より4〜5年は老けて
目尻をつり上げて怒っている
白髪まじりのパサパサの髪を
まとめる事なく振り乱し
見た事も無い程ゆがんだ表情
胸に抱いているのは
眉が俺に似た泣き叫ぶ赤ん坊

どうしたの

ビックリして眼鏡を外すと
そこは古びた時計屋の店先
慌てて振り返ると
天使のように穏やかな顔の妻が
ニッコリと立っている

すると、あれは、あの風景は

おい親父さん、これ包んでくれ
そう言って眼鏡を買って
いぶかしげな妻を後ろに
慌てて外に出る
その包みごと地面に落として

バキン!

粉々に踏みつぶしてしまった

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眼鏡を拭く

佐々宝砂
 

眼鏡拭く君に黄砂の街で会ふ

***

神経質に眼鏡を拭く仕草が気に障った。
とりたてて神経質ではなかったはずだ。
こっちも、向こうも。

人差し指で眼鏡の真ん中を押して、
眼鏡をあげる仕草は、嫌いではなかった。
こっちもそういうことはよくしていた。

キスするときにこっちの眼鏡を外したがる。
自分じゃ眼鏡をかけてるくせに。
それはとても嫌いだった。

何が間違っていて誰が悪くてこうなったとか、
たぶんそういう話ではない。
誰もが運がよくなくて、めぐり合わせがよくなくて。
それであいつは飛び降りてしまったのだから。
あいつのことは気にするな。

そう言いながら、
相変わらず神経質に眼鏡を拭く。
自動車運転のさなかにさえ眼鏡を拭く。

危ないんじゃないの、運転しながら眼鏡拭くの。
そうは言ってみたが、
曖昧な返事しか返ってこない。

あいつあいつって。
気にしてるのはあなたのほうじゃないの。

気にしてない。
気にはしてないよ。

じゃあなんなの。

見えるだけだ。
見えるだけなんだ。
くそっ。この眼鏡が。眼鏡が。

いくらなんでも車をとめて眼鏡を拭いて欲しい。
そう言おうとしたとき、
衝撃が走った。
口から血を吐きながら言われた、
眼鏡を買い換えればよかったなあ。

ちがう。
そんな問題じゃない。
いまはわたしにも見える。
眼鏡は割れてどこかに飛んでいってしまったのに。

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瓶底眼鏡

鈴木パキーネ
 

きみの目がとりたてて好きだってことではないんだ
そんなこと言った覚えはない
きみだって
不意に
なんてことない仕草に
たとえばYシャツの袖をまくりあげたりする動作に
くらっとすることはあるだろう
まあないかもしれないけど
少なくともぼくが相手じゃないかもしれないけど
なんて言い方をしたいわけでもないんだけど
昼休みに
ときどき眼鏡をはずして拭いてるよね
すごく厚い眼鏡だよね
いまどき珍しいくらいの
あー眼鏡なんかはどうでもいいんだけど
っていうかどうでもよくはないんだけど
っていうかぼくは何を言いたいんだ
っていうか言いたいことはひとつか
ふたつかみっつ
整理してみよう
ひとつめは
きみの目が特別にきれいだとは思ってないってこと
じゃないや
あーもーまどろっこしい
って
きみは別にまどろっこしくない
まどろっこしいのはぼく
ひとことで言うと
きみの目を眼鏡ごしでなく見たいんだけど
えーと
この状況下だと
たぶんぼくがはずしても怒らないとは思うんだけど
きみにはずしてほしい
きみの手で
きみの眼鏡を
ぼくのために

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洞穴の枠

伊藤透雪
 

「今日はお母さんについて作文を書いて下さい

  先生
  お母さんについて何を書いたらいいんですか

「何でもいいです
 いつも思っていることを書いて下さい
 
  先生
  私は書きたくありません
  お母さんが

 わかりません

  お母さんって誰ですか

「それではお父さんについて書きなさい

  お父さんについて何を書けば良いのか

 わかりません

  お父さんはもういません

「あなたを産んだ人のことですよ
産んで育ててもらったでしょう
お父さんも育ててくれたでしょう

  いいえ先生
  私は産んだ人が誰なのか
  知りません
  育ててくれた人が誰なのか

 わかりません

  お父さんなのか
  お婆さんなのか
  伯父さんなのか

 わかりません

  だから何を書いたらいいんですか

先生の眼鏡は黒い縁取りで
 洞穴のように暗く見えた
      黙ったままで
    何を言いたいのか

 わからない

教えてくれないと
私だって
 
 わからない

お父さんは今は
黒い縁取りの写真の中にしか
いない

 わかるのは
お母さんという言葉は
不安になるもの
書いたらすぐに
消えてしまうもの
だって今も
ままははという人もどこかに
行ってしまって
先生が書いて欲しいことなんて
まるっきり

 わからない

感じることって
   空気だけ
   空気の感じって言葉になるの?

そんな言葉私には

 わからないよ


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2015.3.15発行
(C)蘭の会
CGI編集/遠野青嵐・佐々宝砂