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ム シ   
  
虫の定義  
月夜の蛹  































ム シ

汐見ハル
 

なぜかみんな見るのだ
教室に迷いこんだ
虫を
避けながら愉しげに
捕らえようとする

いたぶりながら
あるいは一瞬で
確実に息の根を止めようとする

(虫は呼吸するのでしょうか)

その薄い羽の一枚いちまいを
柔らかく細い脚の一節を
毟りとりながら
命といのちではないものの境目を
探っている

(ヒトも虫の仲間かも、しれません)

(生きるためではなく、生き延びるために)

(虫をころします)

息をひそめて
自分が
虫に
されないように

相手が人であることを
見えないふりして

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宮前のん
 

いいちこの空瓶が幾つも
台所に転がっている
アタシは寝室の床に一人
転がっている
お金の無くなる月末になると
手足の先からモゾモゾと
沢山の彼らが這ってくる

あの人があの子を連れて
出て行ったのは
いつの事だったのか
その頃から彼らがモゾモゾと
寄ってくるようになった
アタシは寝室の床に一人
転がって天井を見つめながら
彼らが這い上がってくるのを
じっと待っている

鳴らない電話
開かないドア
遠くから聞こえる生活の音
でも大丈夫、さびしく無いから
だって彼らがモゾモゾと
モゾモゾとアタシに向かって
這い上がってくる

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虫の定義

佐々宝砂
 

虫とはなんぞやという定義からはじめたら
いくら秋の夜が長くても朝が来てしまう
かといって
わたしもあなたも虫のようなものである
地球からみたらダニがたかっているようなもんだ
と知ったふうなことを言ってみれば
隣の和室の障子でチャタテムシが騒ぐ
小豆研ごうか人とって食おかなどとはいわないが
あるいは古代中国では虎まで虫扱いしたんだぜ
と書棚の李徴が怒り出しそうなことをつぶやけば
荒れ果てたわたしの庭でアオマツムシが鳴く
以前はあんなもんいなかったのにいつのまにか住み着いた
あやつらとわたしは間違いなくちがうイキモノだよ
とホモ・サピエンスらしい意地を張って焼酎を含めば
キーンと虫歯に沁みたりする
秋の夜の歯に沁み通る酒はイタイねえ
ぜんぜん白玉の歯じゃあないからだね
だいたい虫歯の虫ってなんだよ
ミュータンス菌って虫なのか
そういえば水虫も田虫も虫なわけだが
つまり白癬菌も虫なのか
かつて白癬菌の巣窟であった足指が痒い気がして
ぼりぼりぼりと掻きむしる美しからざる秋の女は
薄汚れた壁を這ってゆくアシダカグモに目をとめる
アシダカグモは昆虫ではない
昆虫ではないが疑いなく虫である
ミュータンス菌や白癬菌よりはずっと虫である
虫度が高いとでもいおうか
そして見た目とは裏腹に
アシダカグモはきわめて清潔な生物である
彼らの主食は雑菌にまみれているが
アシダカグモの消化液はそれら雑菌を抹殺できる
自らの脚も消化液で清潔にする
そして清潔も不潔もどうでもよくなるほどに
彼らの眼は美しい
引き出しの中で忘れ去られたビーズのように美しい
ああそうだ
すべて美しい眼を持つものは虫なのだ
青空がひとつの美しい眼を持ち
夜空が無数の美しい眼を持つならば
空もまたひとつの虫なのだ
この身もまた美しい眼を持つ虫でありたい
などとがらにもなく嘆息すれば
机のうえにひょんと飛んできたハエトリグモの
丸く磨かれたジェットのような四つのまなこ

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月夜の蛹

伊藤透雪
 

夜の森
重なり合う木々がいざなう道は
月夜の原へと続く道
まっすぐな道にはカラマツの赤茶けた落葉
が敷き詰められ
ぽっかりと空が開けた場所へは
スーパームーンの光差し込むのが見える

草はらでコオロギが数限りなく合宿している
森の全てに満ちるほど

お前はここから産み直されて
記憶は消されるのだよ
何もかもここに置いて
生まれておいで
苦しさも悲しさも
全て解かれていくよ
夢見ながらとろけて
丸く眠っているうちに

十六夜月は惑わせる
さあどうするね、と
長く伸びた影が問う

月はこれから少しずつ
隠れてゆく闇の中に
欠けて隠れて再び
満月になる夜
私は産み直されるのだ
しかしまだ私はすすき
風に吹かれて揺れている
何もかも捨ててしまうには
あまりにこの世に生き過ぎて
生まれたことさえ忘れているんだ

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2014.9.15発行
(C)蘭の会
CGI編集/遠野青嵐・佐々宝砂