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靴を捨てる  
靴ひもを結ぶ  
手のひらに乗せて  
靴底のあれえ  



























靴を捨てる

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沼谷香澄
 

親指と人差し指を適当に開いた長さ の靴がある

左の靴は世を儚んで右の靴に別れを告げた。頭を丸めて

片思い、死別、サイズの食い違い 靴内暴力、らの吹き溜まり

冬近いコンクリートに膝をつき悲しい靴を袋に拾う

はける靴ばかり残った玄関を静かに包む柔らかい風

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靴ひもを結ぶ

汐見ハル
 

靴ひもがうまく結べないでいる
パンの匂いに満ちた遊歩道
気に入りのカフェのソファー
夕焼けに届きそうな坂道の果て
濃く青い空の下広がる飛行場
それから

わたしはその足でどこにだって行けるのに
靴ひもがうまく結べないでいる
たったそれだけのことで

靴ひもがうまく結べないでいる
売っていたときみたいな
きれいな対称を作れるようになるか
自分のつくった不恰好な結び目を愛するか

人生を生きていくなら
そのどちらかしかないんだろう
幸福になるなら
そういうこと
けど指がもつれて動かない 
結び方を知っているはずなのに
わからない

薄暗い玄関でひとり
今もうずくまっている

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手のひらに乗せて

佐々宝砂
 

手のひらに乗せて
手のひらからはみ出さないほどの
小さな小さな靴を買った。
子ども用の靴ではない。
オークションにこういったものが出ることはあまりない。
アンティークショップのネット通販で
一万八千円したしろものだ。

元々は鮮やかな薔薇色であったかもしれない。
今は色あせてぼやけたピンク色の布地に施された刺繍は
くるくると渦を巻いた不思議な文様だ。
中敷きはない。
靴の中は濃い茶色で奥の方は黒ずんでいる。
誰かが確かに履いていたものなのだと思う。
そう思いたい。
そうでなければ面白くないではないか。

靴に紹興酒を注いで飲んでみるというのは
届いたその夜にやってみた。
想像したほどには興が乗らなかった。
やはりこれは誰かに履かせるべきだ。
靴というものはやはり履物なのだから。

さてここに彼女が登場するわけだが
彼女は背が低くて可愛いのだが
それより何より彼女の足は19cmで
成人女性としてはたいへんに小さい。
小さいが
しかしあれではやはり大きすぎる。

彼女はわたしの言うことであればなんでも聞く。
そのように調教したのだから当然である。
痛みにもじっと耐える。
耐えなくていいのだよと優しく言ってやれば泣き叫んでくれる。
実によい楽器だが
そろそろ楽器以外の用途にも耐えてよいころだろう。

余分なものは切り落とせばよい。
手持ちの得物は出刃包丁と鋸くらいだが
これでも充分に用をなすだろう。
ちと厄介なのは事後の処理だ。
しかしそんなに心配は要らないだろうと思う。
今は抗生物質も消毒薬も充分にあるのだし
処方箋が必要なものだって海外通販で買えばよい。

まずはこの美しく愛らしく小さな靴を見せよう。
そして静かに言って聞かせよう。
おまえはもうこれから全く歩かなくてよいのだよ。
わたしが抱いて運んでやるから。
おまえはもうどこにも行かなくてよいのだよ。
この家のこの部屋にずっといることになるのだから。

彼女はきっと怯えて目を大きく見開き
けれどうなずくに違いない。
これまで何度もそうしてきたように。

手のひらに乗せて
手のひらからはみ出さない彼女の足。
うむ。
いい酒が飲めそうな風景だ。

おっともう日が変わる時刻だ。
いい加減で縄をほどいてやらないと。

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靴底のあれえ

伊藤透雪
 

足あとが靴底の形に切り取られて
砂の上に落ちていく
暗い背中へ落ちていく
明るい光に照らされて
つま先ばかりが見えている

ふとつま先を持ち上げて
靴底のあとを見てみると
ねっとりとしがみついたものが
あれえ、あれえ、と
小さく叫びながら陰に逃げていく
ずきりと胸の底が重くなった気がした

デザートブーツのくっきりした靴底は
深く刺さるのだけれど
砂に残った足あとは遠くなればなるほど
少しずつ微かになる
暗い後ろの意識できない遠く

いつの間にか光ばかり見ていた目が
後ろを見ていた
あれえ、と叫んだものはどこへいったか
何となく見たくない
ざわざわと背中からてっぺんに
震えが伸びてくるから

見たくないから前をみるのか
前の光をみたいからみるのか
今はどちらも同じような気がする

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2012.11.15発行
(C)蘭の会
CGI編集/遠野青嵐・佐々宝砂
画像/佐々宝砂