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2007年9月詩集「ぬけがら」
Slough        ――虚脱  
往く夏の日に  
アルビノ  
ネバーランド  
 傍観   
クッキー型  
夜半、消える音に  
ニイニイゼミ  
うつろ、のあと  





















Slough        ――虚脱

九鬼ゑ女
 

              

オトコの耳が 
擦れるような羽音を
拾う

耳を澄まし目を凝らすと
蝉が一匹、鴨居に
へ張り付いていた

片手を伸ばし
オトコが蝉を抓むのと同時だった
びいーーびぃーー
耳を削ぐほどの不協和音が
オトコの耳を
劈く                         / ツンザク
  
   ……耳障りだからと
   ……目障りだからと

オトコは開け放った窓から蝉を弾き飛ばす
蝉はおろろと頼りなげに羽をばたつかせ
オトコの見上げた虚空に消えていった       / ソラ

それからオトコは
両手で頭を抱え込むと
背を丸め畳の上に蹲った / ウズクマッタ

実は……、
オトコは脱ぎ散らかした過去を     / キノウ
ひとつ残らずかき集めて捨てたばかりだった
それなのに…だ
オトコの心には
まだ居座るモノの気配が残っていて…
ふてくされたオトコが寝転がったその時だ
丁度顔のすぐ隣、
吸い終えた煙草の残骸のようなモノが
転がっているのが見えた

ん?…なんだ、抜け殻か

何気なしオトコは
煤けた飴色のソイツの中身を覗き込んでみる
と、見る間にオトコの顔が歪み始めた
……そう、オトコの目が捉えたのは
オトコがついさっき捨てたはずの過去たちだった / キノウ

お前もさっさと消えちまえ!

けれどいくらオトコが叫ぼうが喚こうが…
だ!
蝉の“置き土産”はぴくりともしない
オトコの過去を透かしたまま / キノウ
ささくれ立った現実の上に / キョウ
背を丸めてがしっとしがみついている…

   ……戻り夏の、
   ……ある日の話だ


















往く夏の日に

ナツノ
 

夏の風 吹き抜ける雑木林

少しよごれた手のひらにのせた ぬけがらを

眩しそうに差し出した

顔を寄せてのぞきこめば茶色の薄皮の向こうに

キラキラ 木漏れ陽 揺れる記憶



透明の水に カラン 透明の氷が泳ぐ

飲み干しても潤わず 渇きはおさまらず

涙も流れ出ず

カーテンの間から空をのぞく



脱皮の時の恍惚感のあと

するすると

ワタシの中身は水洗トイレに抜け落ちた

ゆっくりそれを確認して

それから

洗浄レバーを引きました



ぽとり コップつたった水滴で

テーブルなぞる 入道雲のカタチ



夏は往ってしまった

朝はもう訪れない 何度 夜が来ても

名残の南風 チカラなく ベランダ通りゆけば

置いてきぼりのぬけがらが

ヒュウと悲しい音たてる


















アルビノ

沼谷香澄
 

ほろほろと崩るるほどに積もりゆくもの

しろじろと夜のひかりを受け入れるもの

なまなまとかつて命を守りたるもの

ゆるゆると熟す命に水与うもの

ころころとかつて稚貝と呼ばれたるもの

あかあかと生くる力を見せつけるもの

くろぐろと厳しき昼を受け入れしもの

ふるふると強き流れにとどまりしもの

するすると暗きよどみを進みたるもの

すじすじと身のかなしみを刻みたるもの


















ネバーランド

http://yaplog.jp/yukarisz/
鈴川夕伽莉
 

湿気の多い山道をのぼると
物言いたげな木造の駄菓子屋が佇む
ガラリ戸を開けても人の姿はなく
のしいかや魚肉ソーセージの詰められた瓶が
所狭しと並ぶのが目に付いた
ところが近寄ってみるとそれらは食品ではなく
セミやらかぶとむしやら蝶々やらの
さなぎの抜け殻で
こまかく仕切られた陳列棚の中身もすべて
昆虫類の抜けた殻であった
びっしりと
ありとあらゆる種類の抜け殻を認めた
そのうちひとつをつまみあげてみると
年代物であるのか
ぱらぱらたよりない触れごこちでもって
崩れ落ちてしまう
殻のなかからもやもやと
薄い紫色の粉が舞い
何ともいえない悲しさが残った
他のも試したが
立派なツノの抜け殻も
鋭い鎌を持つ抜け殻も
分厚いものも薄っぺらいものも
みな一様にぱらりと壊れては
悲しい紫の粉を吐き出した
もっと喜ばしいものは出ないかと
次々とつまんでは粉を吐かせたが
めそめそと寂しくて悲しいものばかりが充満し
それらは紫色の雲となり
天井裏まで昇ったようだった

どこかが
めりめりと鳴り出した
木造の天井がきしみ出したのだ
間もなく物凄い音を立てて天井の一部が抜けたかと思うと
ドボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボと
物凄い量の芋虫が落ちてきた
反射的に店の外へ逃げたのは正解で
どうやら天井全部が落ち込んで
大量の芋虫が駄菓子屋を占拠したようだ
それらは米粒のような脚を一度に動かして
遂に駄菓子屋の出口を見つけ出し
何十にも何百にも折り重なりつつ
外へこぼれ出た
大きいものから小さいもの
青白いものや緑のや茶色や黒いもの
つるつるてらてらしたものから毛深いの
申し訳程度に毛が生えたものまで
我先にと下界に向かって突き進む
こぼれ落ちたり互いの重みで潰れたり
大量の汁を撒き散らしながら突進し
その振動で遂に駄菓子屋が崩れた
紫の雲は立ち昇り
山のもやに溶け込んでしまった


下界に戻ってほどなく
世界中からありとあらゆる羽虫甲虫のたぐいが姿を消し
かわりにそれらの幼虫ばかり大量発生しているという
報道が入った
無理もない
あれほど密度の高い悲しみにいぶされれば
成虫になろうなどと思うはずがない
かくして地上は芋虫のネバーランドと化したが
芋虫専用の除虫剤が馬鹿売れしているとか
虫の標本が宝石以上の値段で取引されているとか
全国のキャベツ畑が食い荒らされたとか
人々はその程度の関心だ


















 傍観 

雪わたり
 


 
川の流れに  浮き沈み
 
 
漂い流れる  ぬけがら ひとつ
 
 
もみじの錦を まとうでもなく
 
 
ただ ときの流れの 終わりまで
 
 
 
 


















クッキー型

ひあみ珠子
 

私をめん棒で押し広げて
あなたが型を抜いていく


雨粒

天使
妖精

ハート

ちょっと嘘っぽいくらい
あなたのクッキーはきらきらしていて
毒でも混ざってるんじゃ、
そんな疑問もかすむくらい
きらきらしていて

型を抜き終わった私を
もう一度まるめて
めん棒で伸ばして
あなたがめいっぱいの大きさで抜いたのは

あなた

あなた形の型を抜いた後
私の空洞はあなたの形のベッドの窪みそのままに
ぐったりと情けなく広がっていた

私は切れッ端になった私を寄せ集め
ぺたぺたと指でまるくのばした
もう型を抜くほどの大きさもなかった


焼きあがったクッキー
切れッ端の私だけ
こねすぎたせいか
硬くて
なんだか違うテクスチャー


















夜半、消える音に

宮前のん
 

家賃の安い僕のアパートは
ちんちん電車のすぐ線路ぎわにあって
終電の11時45分まで
ガタタンガタタンと部屋全体に
振動が伝わってくる

初めて君を抱いたのも
真夏のこの部屋だったから
君の甘くかすれた声も
電車の音に掻き消されたっけ

それからしばらく
僕らはうまく付き合っていたから
君は電車が通る度に
なんだか恥ずかしいと微笑んだ

秋が来て
ちょっと降りる駅を
間違えたのよと言うように
君は僕の部屋から
居なくなったけど

僕は
電車に積み忘れられた
荷物のように独り部屋で
今でも君の残した振動の中に
君の気配を探し続ける


夜半、消える音に


 


















ニイニイゼミ

佐々宝砂
 

玄関脇の柿の木の下
アブラゼミの抜け殻はきれいに光る
クマゼミの抜け殻もてかてか
ヒグラシの抜け殻ときたら繊細な芸術品

なのにニイニイゼミは
ニイニイゼミの抜け殻だけは
胞衣(えな)をかぶって生まれた赤んぼみたいに
生まれた根の国を忘れたくないみたいに

乾いた泥にまみれて
泥臭いままで
それでも

ニイニイゼミは殻を脱いだよ
懐かしの泥だからって
いつまでもかぶっちゃいられない


(百蟲譜より)


















うつろ、のあと

赤月るい
 

ぬけがらに
あした、と書いてみた
朝までかかりそうだがら
今日の星はカーテンで隠した

濡れている
そのむこうに
愛らしいものがある
水らしい
だから私には
どうしても
その嘘が必要だ

当たり障りのない会話が
雲の上を滑ってゆく

私の頭上では
うずまきが
やがてほどけて
幼少時代のお祭へ
学生時代の哲学へ
とぶ
とぶ

下りた先には
なにか
零れているかな
なにか
溢れているかな
私の手にも
つかめるのかな




























2007.9.15 発行/蘭の会

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(編集 遠野青嵐・佐々宝砂)
(ページデザイン/CG加工 芳賀梨花子)