蘭の会三周年記念 「中原中也トリビュート」(c)蘭の会






指先  やさしい骨  まいったな・・・  空に帰る  
アンテナ   淋しい子供  ダダだダダ  ノスタルヂア  
怠惰  








0043 鈴川夕伽莉
http://yaplog.jp/yukarisz

指先
 


もしもわたくしが
浜辺のぼたんなら

砂に埋もれるよりも
闇に埋もれるよりも
もっともっと
つめたい場所まで
沈んでゆきたいの

あいする人の指先で
ぷちんと飛ばされた

あなたを生涯ぬくめ
あなたが亡骸になるまで
胸元寄り添って
この世から消え去った
あなたを偲びつつ
唯一の遺品の一部として
わたくし自身を誇るのが
あなたに出会って以来の
のぞみでしたのに

ぷちんと浜辺に
落ちてしまいました
気付かぬ振りで家路を急いだ
あなたなのでした

砂に埋もれるよりも
闇に埋もれるよりも
波にさらわれて
沈んでゆきたいのに

わたくしが
わたくしであることすら
認識不可能な
深い水底へ

遣ってください
遣って欲しいのに
どうしてお月さんはあんなに
まんまるいのですか
どうしてこうこうと
静かなのですか

新しい指先がわたくしを
見つけてしまいます

 

 


うえへ





0059 汐見ハル

やさしい骨
 

ほらほら、と
あなたがわたしにささやく声が
聞こえたわけではなかったが

月も射さない
わたしの闇の奥底で
白くひかる小石をみつけた

それを希望と呼ぶならば
あまりにそれはささやかすぎて
あまりにそれは清らかすぎて
孵らない卵をあたためる仕草で
わたしはそれに触れないままで
どうして拾ってしまえないのか

とがって
かわいて
まっさらな
それは骨
あなたのなかゆびの
いつも痛みとともに
わたしにふれてきた
やさしい骨
の、欠片

涙で
洗い流してしまいたかった
のに

月も射さない
わたしの闇の奥底に
残り、ともる
洗いきれない時間
の、結晶

暴かれて
さらされて
かわいた風が
かるくかろく
吹き過ぎてゆく

 

 


うえへ





0093 ふをひなせ

まいったな・・・
 

・・・中也だったのか。汚れちまったら洗おうぜって茶々思ったくらいで最後まで読んだことも無い奴で。
・・・どうする。書けるのか?何書きゃいんだ?

で、読んでみた。ブ厚いのは読めない。
『風呂で読む 中原中也』阿毛久芳 世界思想社刊 湯水に耐える合成樹脂使用
まんま読む。

・・・ふぅむ
・・・ほぉぉ
・・・傷いぢゃないか
・・・刺さるぢゃないか
・・・  ・・・

さぞかし嫌われるんだろうなと思いつつも。嫌がる中也の前に顔を突き出すようにしても云ってみたくなる。 汚れちまったら洗おうぜ 落ちないしみも在るが増えるが 拭いて汚れて洗って擦り切れて ボロは着てるし心もボロ雑巾 けれど肝要なのは清潔で 汚れちまったら洗おうぜ  ・・・お前みたいな奴とは付き合いたくないと言われても、付き合いたいぜと思ってしまったのだ・・・。

 

 


うえへ





0097 陶坂藍
http://www.keoyon-44.fha.jp/

空に帰る
 

坂を登れば萩の群生
祖母が積んた石垣が
しっとり苔むして
平べったい庭の置き石     
お日さまの匂い

涼風に揺れるレースのカーテン
折り目正しい夏の日差し
開け放たれた勝手口     
熟れたトマトの葉の匂い
今日からここで二人だけ    
祖母の低い声もする

これが私の故郷だ

目を閉じて帰る場所
空の上にだけある
今はもうない
私達の故郷

 

 


うえへ





000a 宮前のん

アンテナ
 



今日も朝から屋根に立ち
電波がくるのを待ってます
雪はちらつく風は吹く
思わず手足が引っ込みます

スズメが一羽やってきて
お前は何だと聞いてます
何が望みか聞いてます
何もいらない出来ればこのまま
早く朽ちたいと思ってます

見るとあちこちボロボロで
だから電波も拾えないのか
そのうち段々日が暮れて
放送終了になりました



 

 

 


うえへ





0110 佳代子

淋しい子供
 


        昼、寒い風の中で雀を手にとって愛していた子供が
        夜になって急に死んだ。 (中原中也 『冬の日の記憶』)
  

蒼白の小さな子供はいつも空を見ていた。
指折り数えて何かを待っていた。
その子の兄が悪戯を仕掛けても、
にっこり笑って空を見ていた。
その子の兄は「やっぱり」と思った。

その子の死んだ次の朝は霜が降った。
椿の赤い花びらと雀の羽根が、
庭石の上で、きらと光った。
傾斜してゆく想い引き上げて兄は「うん」と頷いた。

昼、兄は電報打ちに行った。
オトウトシス
スグカエレ

父親は海の上にいた。
長い時を海の上で過ごしている。
身重の妻も子の歳も、
父親にはすべて北風の往還。

夜毎々々、母親は泣いた。
兄はトクトクと心臓のなる音を聞いていた。
それは冬の夜長の白いお伽。

雀が何処に行ったのか誰も知らない。
その子がどこに行ったのか兄だけは知っている。

雪が降ってきた。
手のひらに弟が降りてきた。
紡錘状の光かき分けると弟は暖かかった。
兄は雀のように弟を愛した。
父親になって弟を愛した。

毎日々々霜が降った。
母親は遠い目をしていた。
午睡の後の呆けた顔に
黄色い未練を張り付かせ
帰らぬ我が子を待っているのか。

年が明けても父親からの返電はなかった。
朝、兄は電報打ちに行った。
オトウトガウマレタ
スグカエレ

その後母親がどうしているか・・・・
電報打った兄は、今日学校で叱られた。
嘘をつくなと叱られた。

冬の日の記憶は曖昧な悲しい嘘も暖かい。

 

 


うえへ





000b 佐々宝砂
http://www2u.biglobe.ne.jp/~sasah/

ダダだダダ
 

    それよ、私は私が感じ得なかつたことのために、
    罰されて、死は来たるものと思ふゆゑ。
    (中原中也「羊の歌」より)


今は晩秋なので
  トタンはセンベイを食べたりしないのである

そして夕暮れに近いので
  タールの光は清くなったりしないのである

ああ ダダだダダ と スバラシク速く
  時が過ぎてゆくならば

私だってあっさり白い骨になってみせるのに
 ホラホラ これが私の骨よ と
牡丹灯籠めいた艶めかしさで言ってみせるのに

時はあまりにゆっくりと
 ごくゆっくりとゆきすぎる

赤き蒸汽の船腹の過ぎゆくごとく
 ってこれは別な詩人だったな失礼

時はゆるりとゆきすぎる
 見えるともないブランコのごと
ふにーん ふおーん ふにふおん

ああ ダダだダダ と ぶっ壊そうぜ
 七五調にはもう飽き飽きだよ

ここは南国なので
  真綿の雪も吹雪も無関係なのである

そして晴れた空に夕焼けが赤いので
  悲しみなんて単語は忘れっちまったのである

ああ ダダだダダ ダダだダダ
 中原中也なんて今さらどーでもいいっちゅーの

けれど それでも だけど しかし
 笑いながらも私は折節に祈るのである
  彼と同じ祈りを
彼よりもはるかはるかに言葉つたなく

おまえは何をしてきたのかと
 低い声音で問いかけたくとも
  年増を過ぎた年となっても
彼よりもはるかはるかに言葉つたなく

故郷を離れることもなく

 

 


うえへ





000c 芳賀 梨花子
http://rikako.vivian.jp/hej+truelove/

ノスタルヂア
 

雨の日の午後 私はいつも黒い犬に詩集を読んであげます
でも 犬は聞いているのかわかりません
それでも 私は読んであげます
幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました
幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました
私はお酒が飲めないので かわりに紅茶を飲んで一と段盛り
よく晴れた日だと カーテンの影がゆらゆら揺れる白い壁
そのまんなかあたりに黒い額縁の小さな絵があって
時々 私は詩集を読むのをやめて
白い壁のまんなかあたりの黒い額縁の小さな絵を眺めます
すると犬は詩を聞いていたようで もうおしまい?と私を見上げる
だから私は ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
ねぇ おもしろいでしょ
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん なんて 誰が思いつくと思う?
犬はそんな問いかけに答えるわけもないので
私は中原中也という人が書いたのよ と教えてあげる
そして ゆあーん ゆよーん ゆやゆよおおおん と
勢いをつけて 犬の大好きなスヌーピーちゃんを投げてあげる
スヌーピーちゃんは ゆあーん ゆよーん ゆやゆよおおおんと 放物線を描いて
犬は ゆあーん ゆよーん ゆやゆよおおおん の軌跡を猛スピードで追いかける
そして 母犬みたいに咥えてきて 私の膝に ぽとんと落とし 
また ゆあーん ゆよーん ゆやゆよんしてしてと 
短い尻尾をいっしょうけんめい振り振りする
だからまた ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
なんどもなんども ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん を繰り返しても
犬は飽きないけど 私は飽きるので 
幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました、と また読みはじめる 
犬は ふん、と鼻を鳴らして もう詩なんて聞かないよ、と眠ってしまう
そういう時 私は白い壁の黒い額縁の小さな絵にもどる
実は その絵の中には父がいるのです

この絵の中の父は 人力車に乗って帰ってくる おかあさまを待ち続けていたそうです
おかあさまは 毎日 英国租界から跳ね橋を渡って 
四川北路のアパートメントへ そして 窓から顔をのぞかせている父に
手を振ってくれたそうです
でも その日に限って跳ね橋が おかあさまを乗せた人力車を 容赦なく
その頃 すでに上海では物資が不足していて
お医者様だった おとうさまは 血眼になって ペニシリンを探したそうです
おとうさまも三日アパートメントに戻らず
おかあさまが死んでしまうかもしれないということさえ 知らない父は
おかあさまを待ち続けていたそうです

絵の中の父は 道化があやすサーカス小屋で遊んでいます
道化は いつもへんなお洋服を着て とんがり帽子をかぶって
顔には涙 絵の具の涙 おかあさまを待って 待ち続けて 泣いている父を
笑わそうと 歌ったり 踊ったり
そうだわ 私は詩を読んであげましょう
サーカス小屋は高い梁 そこにひとつのブランコだ 見るとも見ないブランコだ
すると 道化は調子にのって ゆあーん ゆーゆん ゆやゆよん、と空中ブランコ
ぼっちゃん ないてちゃだめだよ 笑って 笑って 
道化は踊って 踊って 踊り疲れて
父は泣いて 泣いて 泣き疲れてしまいました
ところで ぼっちゃんは なぜ泣いているんだい、と道化 
ねえさまたちが ハルピンへいっちゃったの おかあさまは帰ってこないし
おかあさまは 僕とおとうさまと一緒に 上海駅でお見送りしたの
ずるいよ ずるいよ 僕も行きたいといったら
おかあさまは笑って あなたも来週は おかあさまとおとうさまと 
ハルピンに行くから、と それで おばあさまとねえさま達と 
一緒に上海に帰ってきて それから 僕たちは日本に行くんだって
だけど おかあさまも帰ってこないの、と いよいよ大きな声で泣いてしまった父に
道化はなす術もなく 絵の中から 私をじっと見つめている
私は そっと手を伸ばして父のほっぺに触ります
ごめんなさい 力になれなくて 私は そっと目を伏せる
あなたは誰、と父が尋ねるので あなたの娘よ、と答えます
父は ふーん おかあさまに似ているね、というので
私はあなたに似ているの、と答えます
おかあさまは どこにいってしまったのか知っている、と
父が尋ねるので あなたは知らなくてもいいの、と答えます
父は私の息子とは似ていない 息子と同い年ぐらいなのに
息子より ずっと小さくて やせっぽちで 右腕に ひどい火傷の跡がある
小さな 小さな男の子 ずっとおかあさまを待ち続けて
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
力になれなくて ごめんなさい
長江はまるで海のようです
そこのベンチに 父と二人で座って眺めたことがあります
四川北路のアパートメントは 当時のままで 祖父の診療所の建物はなくなっていました
父が泣いているのがわかるけど 父の顔が見られません
天安門の事件があって それからT病院の10階D病棟の3号室で父とお別れしたけれど
こんどは私が サーカス小屋に捕らえられ ゆやーん ゆよーん ゆやゆよん
道化もいない サーカス小屋で ゆやゆよん

 

 


うえへ





0115 伊藤 透雪
http://tohsetsu.exblog.jp/

怠惰
 

  私はも早、善い意志をもつては目覚めなかつた
  起きれば愁〈うれ〉はしい 平常 〈いつも〉のおもひ
  私は、悪い意志をもつてゆめみた……
  (私は其処に安住したのでもないが、其処を抜け出すことも
   叶〈かな 〉はなかつた)
  そして、夜が来ると私は思ふのだつた、
  此の世は、海のやうなものであると。(中原中也 憔悴より)


宵の海に漂うように
まどろみながら 思うのは
この怠惰

人並みに
良しと思う道を必死に歩いてみたけれど
どうにもこうにも合わぬことばかりで
水盤に あくが浮いてくるような
胸の中がムカムカと した心地

青空を眺め 夕陽を思い
言葉を連ねて 思うのが
今の私の生活だ
恋の歌も 歌いはするが
幻のような 枠線のおぼろなものばかり
夢見るだけが できることかと
我が身を思うと呆れるばかり

秋の色も 空の色も
底知れぬ湖の色さえも
人より鮮明に思い起こせはするけれど
それは 幻影であって
誠に存在するのは 遠い彼の地で
そこへ 行くことすら叶わぬ

四肢を投げだし 横たわったまま
見知らぬ大地を夢見ている

のんびり屋と聞こえはよいが
いつまでも背中に重い怠惰の荷
一時まどろみの中で 波に揺られ
漂いながら
ただ 今を生きる

 

 


うえへ







2004/11/15発行

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(編集 遠野青嵐・佐々宝砂)
ページデザイン 芳賀梨花子)