種の境界
在りし日のさりなの語ったバナナチョコケーキの甘さと苦さと人生と男のずるさと優しさとアタシの突然の涙の理由について  
境界線  チェリー ダークサイド  ボトル・ランゲージ  
ベランダにて  侵犯  薄紙    鞦韆(ぶらんこ)  
境界線  ふぁん心理  風の強い日に  クレヨン  
梅雨入前  羊飼いではない青年と羊ではない女  


















0005 しえすた

種の境界
 

からりと外れた蝶番
淑やかな白梅の香りに
猫が誘われて
あいまいな垣根を越えて
接吻(くちづけ)たから
紅く染まった梅の哀れ

紅は血の色
梅は今宵限りで散りましょう
キチガイ猫は神隠し
何処かでヒトに生まれましょう

 

 











0013 朋田菜花
http://www.asahi-net.or.jp/~sz4y-ogm/

在りし日のさりなの語ったバナナチョコケーキの甘さと苦さと人生と男のずるさと優しさとアタシの突然の涙の理由について
 

在りし日のさりなは、ある時こう言った

−アタシはバナナの甘さではなく苦さが好き。
−そしてアタシはひろきの優しさではなくずるさが好き。

さりなが死んで一年 私は昨夜彼女の夢を見た
私とひろきと三人でくっついて止まり木にとまって
「アタシもう死んじゃったのだから、あとは頼むね」と
無邪気に語るさりなの言葉が、目覚めてもずっと耳に残り
バナナが甘くて苦いことにもあらためて気付いたのだった

 

 











0023 ナツノ
http://www5.plala.or.jp/natuno/brunette/brunette_top.htm

境界線
 

誰も入らないで
私は境界線を引く

大切なものを 見に来ないで
灰緑の風が吹いた 穏やかな時
母といちごをつぶした 遠い5月の午後

ミルクの白をそそぐと
やがていちごの赤に融けてしまった
ガラス窓の外を 砂色の風が過ぎると
母は 竜巻が来るよと言った
そしてすぐに楽しい午後は終わり
私はテーブルに残された

手のひらの上の桃源郷は
それ以後 ずっと枯れたまま

校庭に つま先で陣取りの線を書くように
私の身体ギリギリに 
ぐるりと境界線を引いてみる

私は
あれから
自分がどうなってしまったのかが
知りたいの

ひとりが好きよと
自分のまわりを切り落とせば
私の輪郭が やっと見えてくる

安堵と淋しさに満ちた ゆりかごに抱かれて
ひとしきり眠れば
境界線の向こうを通る足音
私は 誰も来ない呼鈴に耳を澄ます

あの日のように 私と向かいあって
いっしょに いちごをつぶして下さい
境界線の内側で つぶやく言葉は誰にも届かない

灰緑色の5月の午後に
私の輪郭が出来上がったのだと
誰に伝えればよいのだろう

 

 











0043 鈴川夕伽莉

チェリー ダークサイド
 

街を出るにあたり
キミを捨てることにしたのだった

 *

教室すなわちジンセイを護る敷地で
芽生えたそれを奴等は初恋と呼んで笑った
ああ遅いよ悪かったよ

紺色のスカートは膝丈
親兄弟以外の男が
まともに触れたことのない黒髪

そんなキミの取柄は成績だけじゃない
って
俺だって最初から気付いてたさ

 *

敷地内はぬるく囲われて草の匂いがする

雨の日の蛍光灯 
放課後の弾みで触れてしまっても

通常は俯いた睫毛の隙間や
傾げる癖のある首の付け根から
零れる空気は意外に粘度が高い
何時もむせ返り先へ進めない

「愛してる」の響きだけで
強くなれたのは告白の時だけだ
キミはどうして笑いながら泣くの?

 *

敷地内には底なし沼がある
ソツギョウすなわち立ち退きを迫られて
キミは突っ込んだ片足を断ち切って進むのか
片足もろとも沼に沈むのか
決めかねていたみたい

俺は結局キミの中に入らず
諦めるフリをした
待ち合わせに遅れた俺は
駅のロビーで床に座り込み
膝を抱えて泣くようなキミを
抱き起こさず置いて行くことに決めた
目の前で汽車が出る
敷地を出るための切符は
完全予約の指定席
たった一枚限り

 *

さて
キミの選択は?

 *

街を出て半年
キミが7度目のリスカ現場を押さえられ
遂に病院送りだって
奴等は眉をひそめた

握ったナイフで切りたいものは何?

 *

独りになった俺は遂に観念し
俺自身への自白を続けてる
だって夢の中にはいまだに
キミの睫毛や項が映えてるんだよ

キミは病室のベッドで膝丈のスカートをめくり
足を広げてこんな風に呟く
ねえあたしが清楚なオンナノコじゃないって
気付いてたくせに惜しいことしたのねえ
入るべき場所はここだったのにねえ

どうすることも出来ず俺は
毎朝10時に目覚め
新しかった筈の世界にのろのろと歩き出す







(2003年9月の作品です)

 

 











0059 汐見ハル
http://www3.to/moonshine-world

ボトル・ランゲージ
 

ぼくの 内側には
ふたつのいろをした 
無数のコトバが はりついていて
ぼくは それを通して 
世界を みている
 
 ぼくのお弁当のスウプをみんなわらった
 カバンをぬらしたときなんかそれみたことかと
 おいしいのもしらないくせにみんなわらった
 先生だけがうらやましいって言ってわらった
 だから あげないよって ぼくもわらえた
 残さなかった
 
(Toi la nguoi…)
 
世界はいつも
半分ずつ
かわりばんこに
ぼくに かがやいて
 
(ぼくは、)
 
 カタカナで書いたぼくの名前を
 生まれた国の発音でとなえてみせたら
 先生は首をかしげて
 もう一回、とわらった
 べつの名前にきこえる、とも
 歌のようね、とちいさく
 かわいたくちびるの動きは止んで
 
(…Co giao.Toi la …)
 
世界はいつも
半分ずつ
かわりばんこに
ぼくから はがれていく
 
 かあさんの書いた買い物メモを
 読めないぼくは
 自分の名前のほんとうの綴りを
 書くこともできない
 
(先生、ぼくは)
 
ぼくは
ぼくの中にあるコトバそのもの
薄くて透明な よわい磁石
ほどけて くだけて
漂流しつづける
瓶詰の沈黙
 
 学校で覚えてきた
 カレーの作り方を教えてあげたのに
 何度やっても かあさんは
 水っぽいスウプにしてしまうんだ
 
ぼくの 内側に
ぼくは 築く
船を
自由に 力強く 進む
船を
この透明な檻を壊して
誰かの 内側に
かがやき
胸に抜けない欠片と
なる ために

 

 











0061 ヨ
http://y0.kits.ne.jp/~sk52/y/poe/

ベランダにて
 

四時半夕刻
思い立ち
洗濯機まわす

陽が伸びた
空の
視線がちょっと痛い
わかってるよもう
春だってんでしょ
湿ったシャツと
生乾きの髪を
これみよがしに
風が撫でてく

季節が変わると
その色を忘れてしまう癖持ちで
もう一生
あの川岸を
カーデガン1枚で
歩くことなんか無いと
冬の間中
思い続けてた

朱色を溶いた
空がにじむベランダにて
今のクシャミは
洗い髪の芯が冷えたからじゃない
天気予報に花粉警報が出始めた

少しだけ膨らむ
桜並木の
蕾に気付く
わかってるよもう
終わったんでしょ

なくなったのは
恋じゃなく
たった
君っぽっちなだけ
ほんと
そんだけ

 

 











0069 ひあみ珠子
http://members.jcom.home.ne.jp/pearls/

侵犯
 

それはAかBかという対等な選択肢ではなくて
領域か非領域か
優劣どころか
是と非なのであって
どこまでも相容れない
あり得べきは唯一の領域

まさにその領域の
切り立つ崖っぷちに立っている

非領域には何もない
もちろん生きる道などなくて
言葉もなく
黒々とした口が
ブラックホールが
大きな恐ろしい口を開けて
誘惑の生暖かいそよ風を吸い込んでいく

ここにいる誰も
非領域に踏み込んだことはなく
踏み込んだものは二度とは還らない…
だから
ここにいる誰も
こんなところには近寄らない

だから

陰圧に
目と耳と思考を奪われ
ただ
おそろしく
濃密な
誘惑、の
呼び声が、
生暖か、く
素足を
撫で、ていく、のを
物、
狂お、し、く
感じ、、る、、、、

あ、な、た、、、、

 

 











0072 諦花
http://www.another.jp/rental/diary/top_frm.asp?ID=teika

薄紙
 

何をすればいいのかわからない。
今日の自分の行動が、明日の自分の未来像が見えない。
影絵の中で遊んでいるみたいに時間がずれていく。
最後までわからないままだった、と
私は泣きながら。黄ばんだ病院のシーツの上で、死んでしまうのだろうか。
このままではきっと。

ここ数日の自分の感情が持て余される。
思考と行動とが把握できない、言葉や視線の
予測ができない。
こんな風に自分のことしか見えない
のに


愛しているのよ、と
私はいつも何かに向かって、頭の中で語りかける。
けれども
それが誰であるのか、或いは何に対しての必死の願いであるのか、
こんなにも絶えず思い続けているその感情の向かう先さえも
見えず。
かと思えば、
目鼻立ちさえしっかりしている気がする匂いさえ感じられるあの人に相対している、私
そして
愛されている苦しさが、呼吸を圧迫する。
ああ
あなたを。
あなただけをこんなにも想っています。

いつだって、
貴方はその掴めない、愛情という優しい刃で
私を永遠に脅しつけている
触れられない、くせに
その体温は私の内を焦がす。意識の奥、
たった一つの檻に
貴方は私を飼っている。
捕らわれて
息も出来なくても、それでも私は逃げ出すつもりなどなく
捕らわれている
その事実にさえ薄紙一枚の
世界の境界が感じられる、(感じられない)が
故に
愛しています
愛しています。


病院の黄ばんだシーツの上で、同じように私の体にはもう汚れが染み付いて黄ばんでいる
私は薄紙を剥がせないまま迷い続けていたこの世界の最後の境界から、虚空へと
皺だらけの腕を、伸ばし
、結局
最後まで、わからなかったと言って
溜息をついて涙を流してか細くなっていく呼吸の奥から叫んで。
愛しいあの人の面影を見る、最後のキスを贈る、あの人は
優しく微笑んで私を憎いと言う、私はあなたに対して何もしてあげられないと思い
鍵の壊れた檻の中から泣くことでしょう。
そして抱き締めて思うでしょうこの人は一体誰なんだろう、
こんな永い間私を捕らえていた私を愛して憎んでいたこの人は
そして、
私は一体誰なんだろうなんでここにいるんだろう今はいつなんだろうそしてもう終わりなんだろうか
そしてもうここが最後なんだろうか。

 

 











0083 栗田小雪


 

焼けたアスファルトに、
虫の死体がこびりついている。

それは原型を残さず

生きる意志も残さず

ただ、無言で
白いラインの上で潰れた。

 

 











0085 朱雀
http://homepage3.nifty.com/complass/index.htm

鞦韆(ぶらんこ)
 

無機質な直方体の底で蠢く胴欲は

望蜀の種を絶え間なく生み

惑い歩く意識を 冥冥の裡(うち)に連れ去る


遠方(とおち)に擦れた 不明瞭な境界線は

恰も幽微に 蜿蜒(えんえん)とうねり

足許から崩れ落ちる 眩暈にも似た陶酔感


引き攣るような痺れは 痛痒(つうよう)と快感を往来し

その先には何があるというのだろう

群疑を押し遣る術もなく・・・ 

ぐにゃりと歪んだ陥穽(かんせい)すら 栖遅となり

それは須(すべから)く当然と 私と言う人間を支配する

 

 











0093 ふをひなせ

境界線
 

海と空の
空と雲の
大気と真空の

溶けて
碧になる 蒼になる 青になる


国と国の
人と人の
心と心の

融けた
その色彩(いろ)を見たい

 

 











0096 土屋 怜
http://choice.gaiax.com/home/trei5960

ふぁん心理
 

ずっと前
あたしは カレが好きではなかった

深夜ドラマでブレイク中の
クールな美形俳優と評される
カレの姿が映ると
スイッチを切る

が・・・・

偶然 カレとは知らず
恋愛ドラマに釘付けになる あたし
夏から秋になっても
カレへの熱はおさまらず

過去のビデオを借り続けた 冬
豊 の文字に反応した 春


とうとう・・・
「舞台挨拶」にも並びする 昨今

俳優のいちファン
キライから好き への反転はいずこ

全国にはあたしに似た
症候群の皆さま 
多々いらっしゃるが・・・

 

 











0097 陶坂藍
http://www.keroyon-44.fha.jp/

風の強い日に
 

久しぶりで母に会った

  そう遠くに住んでいるわけでもないのだが
  なにしろ風に乗って漂う
  タンポポの綿毛のような女(ひと)なので

  2ヶ月ぶりに見るその顔は
  風邪をひいたというわりに
  今まで見たこともないような顔で
  微笑んでいた

  なにが彼女をそうさせるのか
  なんとなく察しはついている
  それは
  傍から見たらちっぽけで
  取るに足りないことなのだけど

  それから二人で
  駅ビルの飲食街に行き
  昼定食を食べながら
  他愛のない話をした

  華やいだ笑顔で話す彼女の前で
  不覚にも
  私まで自然と笑顔になる
  
  この違和感は何だ
  
  なぜだか気味が悪い
  気味が悪いが
  後から後から湧き出る笑み

  そういえばここ10年ばかり
  彼女の前でこんな風に
  笑った記憶がない
  

  何て娘だ

  いつもなら
  改札で短く言葉を交わし
  それぞれの帰る場所へと向うのに
  今日だけは
  その姿が見えなくなるまで
  そこから動けなかった

  母の幸せが
  一日でも長く続くといい

  娘を嫁がせる母親のように
  つぶやくと
  無性に煙草が吸いたくなって
  コンビニでキングサイズのメンソールと
  ライターを買うと
  駅前の噴水で
  娘を嫁がせる父親のように
  一直線な煙を吐いた
  
  たった今私達親子は
  ようやく
  別々の道を歩き出したばかりだ

  

 

 











000a 宮前のん
http://www31.ocn.ne.jp/~mae_nobuko/

クレヨン
 


お母さんがお誕生日にくれたのは
外国製のとても美しいクレヨンでした

もう大人になったのだから
線引きは自分でおやりなさいと言われたので
まずお父さんと私の間に赤い線を引きました
お父さんは少し寂しそうでした

お風呂場に行くと兄さんがシャワーを浴びていたので
慌てて脱衣場に黄色の線を引きました
無頓着な兄さんは気が付かなかったようです

ダイニングではお父さんとお母さんが夕食を食べています
よく見ると二人の間には薄い線の痕が何本も残っていて
そうか何度も書いては消し書いては消して
ようやく今の線引きになったんだなあと思いました

ルルちゃんがニャアとすり寄ってきたので
周りに青色でくるっと円を描いてやりましたが
ピョンとすぐに飛び出して行きました

明日はクレヨンを
学校に持って行こうと思います


 

 

 











000b 佐々宝砂
http://www2u.biglobe.ne.jp/~sasah/

梅雨入前
 

わたし
春の畑をあるく
やわらかな雨に匂いたつ
赤土

影の淡い腕が
いくほんも突きだして
足首をつかむ

でも
死んだ者のちからはよわい
幽明のあわいに建つあの門が
ぎらりんぎらりんと
眩しくて
ねらい定めることもかなわない

真夏になれば
境目はうすく
すうすうとなるから
そのときにきて

そのときまで
待っている
盆踊りの輪のなかに
あなたの姿があっても
わたしは驚かない

でも
いまはまだ
啓蟄すこし過ぎたばかり
ちいさな地虫のうごきは鈍い
いまはまだ

菜種梅雨
筍梅雨
五月さみだれ
木下闇
いまはまだまだ
梅雨入前

梅雨があけたら
飛んできて
羽音すずやかな蜻蛉になって
光かろやかな蛍になって
すうすうと
ここに
飛んできて

 

 











000c 芳賀 梨花子
http://rikako.vivian.jp/hej+truelove/

羊飼いではない青年と羊ではない女
 

 急ぎ足の夕方、日比谷線の中でばったり過去に出くわした。過去はあいかわらず憎憎しく、ふてぶてしく、そして逆らいがたく。すこし歩こうかと言うから、過去の背を追い次の駅で地上へ出る。そして何を話すわけでもなく、ただ一緒に歩く。過去と私の行く手にはもはやなにもない。日比谷公園の木々は太く強く高く都心の夕方の空に向かって伸びている。過去と私は自然に手を繋ぐ。無神経な過去は「覚えているか」と聞くので、私はそんなこと忘れてしまったと答える。「そうか」しばらく会話が途切れ、もういちど過去が「そうか」と呟く。

怖がりの群れの中で
貴方を見ていただけなのに
いつのまにか
一緒に見たいと願った
貴方が言う
Ends of the world
単数ではないそれを
夢みるようになった
夢などみてはいけない
夜眠りたくなる
睡魔の恋人ならば
それもいい
でも
抗っても
抗っても
行き場を失うような夜を
越えてはいけない線を踏み越え
ナイフを握り
たがいの血を流し
紅い流れは
激しく
分水嶺でせめぎあうような夜を
過ごしたい
羊飼いではない青年と
羊ではない女
そしてふたりの草原は
女の中にある
はるか地平まで続く

決して暗がりが怖かったわけではない。過去と私はしばらくそのまま手を繋いだまま、まだ陰影のある公園の闇を歩いていく。すると外灯が、小さくても確かな灯りが足元を照らす。明暗のはっきりした足元には、もう一人の私が待っていた。もうひとりの私は私を責めるような目つきで私を見上げている。その目つきに、思わず過去の手をふりほどいた。
もう触れ合うことはない。それなのに足元の影は私の姿を捨て伸びたり縮んだり重なったり解けたり。愛し合っていた頃のように伸びたり縮んだり重なったり解けたり。

日比谷公園の中には松本楼というレストランがある。そのラウンジで。一番奥の席で過去と向かい合った。グラスビールひとつ。「お前、ビール飲まないの?」あのね、お酒はやめたわ。もう、ずっと前に。だからコーヒーをください、ブラックで。また過去が「そうか」と呟く。なんか食うか?私はいいや、あなた食べればここのカレーライス好きだったわよね。でもね、あなたに運ばれてくる銀のスプーンは重いわよ。とっても重いわよ。それでも良かったら召し上がれ。

因果関係をいちいち呪ってはいけない
世界の終わりでは
そんな風に思えるかもしれない
一歩踏み出せば
世界が終わるのだから

カレーライスという現実を食べる過去。重いはずの銀のスプーンが運ばれる口元。かつてはこの唇が他の乳房にとられるのがいやだった。でも、それはその時の現実。きっとそのときに食べてしまったのだ。ナシゴレンだったか、それともカツ丼だったか、牡蠣フライ定食だったか、吉牛だったか、もしかしたらデニーズのチョコレートブラウニーサンデーだったかもしれない。とにかく食べてしまったのだから、なにをどうやっても、もう、私には取り戻すことなどできないのだ。だから私は巻き戻すのをやめた。県道沿いにある量販店で買ったDVDヴィデオデッキの停止ボタンを押すのは簡単だ。過去なんて録画しておいた日曜洋画劇場、その合間に流されるコマーシャルみたいなもの。早回しにしてしまえば結末などは簡単にわかるはずなのに。

日比谷線に戻ると言う過去でなくなった過去に、私はJRに出るわと言う。もうすでに過去は憎憎しくも逆らいがたくもなく、私は反対方向へ歩き出す。「そうか」と呟く過去でなくなった過去を境界線の向こう側に押しやるように、しっかりとして歩調で。松の匂いがした。大きく息を吸う。松の匂いは私の生まれ育った庭の匂いだ。もういちど大きく息をする。さぁ、家に帰ろう。

 

 














2004(c)蘭の会3月詩集「境界線」

2004/3/15発行

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