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Tomorrow - ashita -   らせん  「耳。」  
風の魔法  penetration  ストロベリートラップ  
電話  耳朶    耳かき  白熱 サイドA  
Die Forelle D550 Etwas Lebhaft  



















0001 はやかわあやね
http://homepage2.nifty.com/sub_express/
Tomorrow - ashita -



このところ空の向こうでは毎日が雨
何もない私は
貝殻で遠くの音を聴く
忘れていたものを思い出し
色付いてゆく呼吸にため息を吹き掛け
満たされているはずの私は
満たされない想いに身を寄せる

このところ空の向こうでは毎日が霧
どんな風に色模様が匂いたつのかさえ知らない私は
窓の向こうに頬を押しあて
冷たい耳朶(みみたぶ)で窓枠をなぞってみる
何も聞こえない
何も見えない彩りの中で
やかんのしゅんしゅん沸き立つ音だけが
記憶の挟間に甦(よみがえ)る

このまま遠くに埋もれてしまいたい願望を
溜飲とともに押し下げて
幾許かの清流に流れる潮(うしお)を掴むため
重たい頭を上にあげる
窓から射し込む陽の影が
やわらかすぎて
今日も私は何ひとつ耳にしないまま
明日という日を
鼓膜(こまく)の中に刻み込む






0003 キキ
http://village.infoweb.ne.jp/~fwnp7456/
らせん



満ちてゆく なかでは
飛沫は生まれつづけるけれど
喧騒がおおきくなる程に
なにも聴こえなくなるよね

耳のおくの ちいさな貝に
真白い雲を 閉じ込めているせい


押し寄せる波は
引く波とぶつかって
わたしたちより ひとあし分 さきに千切れて
太陽が 落ちたあとだったら
きっと星のように 光るのだろう


砂混じりの耳朶を おおう
風の音はたぶん
硝子を切る鋭さで ないているのにね


あるいは こころの部分だけで 追いかけてしまったのかも



あなたの知る 
すべてのものを 閉ざしたかった

もしも その身体のどこかに 隙間があって
らせんがまだ 重心を失っていないのなら

わたしは液体になって
あなたの耳を 浸食しようと おもった






0007 愛萌
「耳。」







もしも
永遠が
見えなくなったら
必ず
しようと思う



柔らかい色をした
血の通う肉に
そっと歯を立てる

ゆっくり
ゆっくり
力を込めて
舌に当たる
うぶ毛の感触や
小さな襞に似た
その形を
味わいながら


低温の物体
小さな塊
微かに脈打つ
存在を

ゆっくり
ゆっくり、


噛み千切る




悲鳴を聞きながら
それでも決して
放さない
離れない


必ず
そう
しようと思う







それは真夜中
目を覚まして
横顔を見ながら
時々考える事






0023 ナツノ
http://www5.plala.or.jp/natuno/brunette/brunette_top.htm
風の魔法



その人は
風の音を聞いているように
立ち止まった 全身を耳にして

はにかむ横顔も 決して気弱でなく
むしろたくさんの引き出しから溢れるものを
そっと 両の手のひらで 
ムネにおさえこむようにして。

あなたを真似て 風の音を聞いてみる
立ち止まり 大きな木の下で。
ゴォ と私を通り過ぎた
桜と桃とこぶしの花びらが舞い上がり
砂色の風の彼方に聞いた チイサナ声は
私を呼ぶ あなたの声だったのか
それは 一瞬の 風の魔法か

あなたの心を細かくちぎって
そっと 飲み込みました
ずっと 忘れないように

その、悲しい遊びをさせたのは あなた
私の耳に ささやいたのは風






0059 汐見ハル
http://www3.to/moonshine-world
penetration



父の遺したタオルケットを
ライナスの毛布のように抱きしめる夜を
そんなものはとっくにのりこえたとおもっていたの
やわらかくつめたい感触がいい
おひさまの匂いは苦手だった
顔以外ならなんでも思い出せる
抱き上げられたとき頬に擦れたアイヴォリーのセーター
そんなものはもうとっくにこの世のどこにもないのね
あんまり安心しすぎていつも
うっとりと目をとじてしまうから
覚えてるのは微笑みの気配だけそして暗転

いくつか恋はしたけど
ひとめで気に入るなんてことは
なかったしきっとこの先もそうなんだとおもっていたの
ひとりきりの手軽さを羽まくらにつめて
ティーカップの底に沈むゆるやかな静寂をねむっていたのに
コルクを抜く音が胸のうちにひびく花がひらく大きく
いきをするいきをつめるいきているのわたし でもあなたは

あたたかくてあたたかくて
すごくすごくそれは、あい、なの
おそろいのユニフォーム、8番と10番
小さなのと、それより少しだけ大きな、小さなの、ゆびさす
10番はキャプテンなのですって
そのときはじめて、あなたの指を凝視した
あの指で撫ぜられたらどんな気持ちがするだろうと
それだけでわたしは、泣きたいそんなばかなこと
親ばかねとひやかすと屈託のない笑みがこどもみたい

結局わたしは、ひとりです
少しだけ可愛がられてるけど子犬みたいなもの
酔っ払った帰りの電車で
経過駅を知らせる他愛もないメールなんてくれるけど
わたしはひとりで
あなたの帰る家は、明かりの絶えない
だからかえってほっとしてるの
わたしタチ、なんて言葉は
この世のどこにもないのそれがいいの
言い聞かせるみたいに何故そんなことばかりをおもう

二つ折りのケイタイかちりと閉じて
失うものなんて何もないの
はじめから何も手に入れないから
いいえでもひとつだけセンチメント
ドラマ主題歌のCDを土曜日
ホワイトディの風情で胸に抱えたの
昨夜はじめて聴いたあなたのうたを
なぞる、ために
あのときのあのうたごえはもう消えてしまったけれど
閉じこめた耳の奥はきっと心臓につながっているの
小刻みにふるえる鼓膜はすでにキモチの輪郭
スピーカー越しのそれはあなたのと違うのに
ひどく幸福だって言えてしまうこと
声がききたいのききたいのききたいの
そんな必要もないくらい繰り返しくりかえし
あのとき正視できなかったぶんだけ
クリアなのは、声
とっくに消えてしまったはずなのに
壊れたデッキみたいに止まらない、声を
添わせたままその一曲ばかりがいつまでも
penetration 吐息が耳にかかるくらい近づきたい
そしてゆるやかな暗転を






0064 紺
ストロベリートラップ




ねぇ 高くそびえる岩のうえ
ねぇ にこ毛のような下生えのなか

さがせる?

かくれている かくされている 
みつけたい みつけられないもの

長いあいだ息を潜めて 
やわらかな土くれに
ひびわれた大地に
雪解けの川岸に 福音をもたらすもの


(どこにもなくどこにでもあるもの)


拍手のような葉ずれのような 
それとも火のはぜる音
さんざめく 笑い声?


(ぼくたちは追放されたんじゃなく冒険に来たんだよ)


その草につまづいて転んだとしたら
苺を探そう
苺を探そう


罠のなかに 赤く輝くヨロコビ
(美しい薔薇に棘があるのではなく
棘のなかに美しい薔薇がある)


深呼吸
耳朶に咲く野薔薇



砂の種子






0070 kamome
http://www.medianetjapan.com/town/entertainment/kamome/index2.html
電話



陽だまりの ぬくもりの如く 我包む 君の声に 聞き入る夜更け

電話でキス 耳に感じる 君のチュゥ ドキドキキャハハ ポッ!

声の先 見つめし瞳 潤む夜 吐息は響き あなたに溶ける






0077 ちほ
http://ripplering.oops.jp
耳朶





確実に
遠くなる
喧騒

あたしのそこは
不感症ではない


くちびるじゃなく
息を届けて

ください
ねぇ
掠れた声を
そこにちょうだい




あなたとそこで出会えたとき
あたしは らしく
いられるかしら

ねぇ

妄想






0078 こより
http://kitsuneno.infoseek.livedoor.com/public_html/



男の我侭に付き合わされてうんざりした気持ちが
重たい鉛となり女の口から吐かれる
最悪な事に男に相手を巻き込んでいる自覚がない
お守りをする身にもなってくれ
思わず呟きたくなる思いを喉の奥に留め
首の付け根から背骨にかけて
筋肉が固まりつく痛みを感じながら
女は虚ろな瞳を男の背中に向けた

私の事を何だと思っているのだろう

男は一度として女の話をちゃんと聞いた事がなかった
話を聞いてくれないことに対する自分の存在のなさが
女を追い詰めていく

女に男を選ぶ余地などなかった
必然であり 絶対条件として男の存在はあり
女がこの世に居る理由として男がいた
何故この男なのだ? 
何回も何回も頭に浮かぶ疑問は結局死んでも分からないのだろう
輪廻ゆえ訪れた当然の成り行きなのだろうか
或は前世で余程酷い事をしたのであろうか

女は男の耳の裏辺りを凝視しながら
その存在が今直ぐ消えてしまえば良いのにと
呪文のように唱えていた

ふっと前日の夕食後に
男に耳の毛を切れと言われたのを思い出した
何故そんな事を思い出したのかは女には分からなかった
多分男の耳を見ていたからだとおもう

あの時あやまって鋏を男の耳に突き刺せば良かった
女はその様を頭に描き 余りの幸福な影像に尿意を催した
瞳は潤み 微笑を作る口元は微かに震えている
女は自分の愚かさに鼻の奥が つぅん とした

ふっと男が振り向く瞬間に
耳から何か出てこうようとするモノを見た
目の錯覚ではないと思う
女は男に近寄り
耳の側まで行きよくよく耳穴を覗き込んだ
何もない
男が文句を言っているのを聞くともなしに聞きながら
確かに自分はこの目で見たとおもった


アレは何なのだろう?
数日たった後も
男の耳の中から出てきたミミズのような物体が
何なのか考え続けていた
女は意を決し
男が寝静まった丑みつ刻に男の枕元に顔をよせ
耳をじっと魅入った
あくる日もあくる日も夜長 男の耳をじっと目睹した

丁度2週経った夜
男の耳から蚯蚓くらいの太さの耳糞が姿を現した
女は息を潜め暗闇の中 耳糞の動向を伺っていた
耳糞はかなり用心深いようで
少し外を覘いては引っ込み
覘いては引っ込みを繰り返していた

耳糞が外気に触れるたびに
えもいわれぬ悪臭が空気に混ざり
女の嗅覚を鈍らせていく
男は耳糞のことなど何一つ気にせず
高らかないびきを掻き
時に歯軋りをしていた

女は寝ている時でさえも五月蝿い男を忌々しく思った
不平を溢し続ける男の口から発する
あらゆる音に怒りを覚え
そして 同じ男の耳から外の様子を伺っている
耳糞も例外に漏れることなく
女の怒りを 苛立ちを かうことになる

うねりの様ないびきは女の耳を腐らせ 
耳糞の悪臭に女の五感が鈍る

手元を見ると明日男が履く靴下があった
女はその靴下を掴み 耳糞が外を伺っている時を狙って
耳糞の頭の部分を 男の靴下で潰した


『ぢゃっじゅっぐっつッ』


靴下を握っている右手から全身にかけて
毛穴と言う毛穴が口を開け汗の粒を噴出し
女はその不快な感覚に 靴下を部屋の隅めがけて投げ
思わず 声が上がりそうになるのを必死になって両手で塞ぎ
急いで男の部屋を後にした
男の部屋の戸の内側からは
男のいびきが聞えた



次の日 女が朝食の支度をしていると
男が起きてきた

こっそり男の様子を見た女の目に映ったのは
明らかに老いはじめた男の姿であった

男はその日から
耳糞を潰されたその日から
老い続け
日々発せられる悪態は本来の力をなくし
女はいつまでも男を恨むであろうと思った自分が
余りにも老い過ぎた男に 哀れみを抱き始めたのに気が付く

結局 女は男を見捨てることなく
最後まで面倒をみ
彼女が自由を手に入れる頃には
生きることに興味がなくなっていた

女は次の来世で少しばかりマシな人生を送ることになるのだが
そのことを知る由もなく
来世に何の価値も見出す事の出来ない女にとって
人生とは溜池を彷徨う遊覧船のようなものなのであった






000a 宮前のん(みやさきのん)
耳かき




あの人が耳かき持ってきて
膝枕でやってくれだって
やあよおって照れながらも
ワクワクとまずは右の耳から

はじめに出てきたのは私の言葉
「ねえ、最近太ったんじゃない」
次にお昼間の会社の同僚かな
「グズ、お前いつまで時間かかって」
その奥に
「やっぱり前の担当の方が良かっ」
嫌味な方が引っかかりやすい

続いて左耳
「どこ見てんだよ、バカヤロ気をつけ」
「私が、市会議員、市会議員の阿部、阿部でございま」
「君、このアイデアいいねえ。斬新だと」
ああ 褒められても残るのね

本当は右の耳の奥に貼り付いてた古い
たぶん、お母さんの
大事にそっとしておいた


あ 左の底の方に
「ちょっと、聞いてるの?」
これって
右耳から抜けてきたのか



 






000b 佐々宝砂
http://www2u.biglobe.ne.jp/~sasah/
白熱 サイドA



身体に七つの穴を穿たれたので死んだときいた それが誤謬とも誤伝とも思えなかったが 顔のないままにあのひとが俺の前にいた まさか千と千尋のカオナシに触発されて生き返ったわけじゃあるまい とは思うのだが あのひとはもちろん千と千尋を拒みはしない そうだ千と千尋どころかポケモンに組み込まれることだって サダム・シティーで蹴飛ばされ破かれ唾を飛ばされている肖像になりかわることだって 拒みはしないだろう やっぱりあのひとはあのひとなのだった いや正しく言えば ひと ではないんだがあのひと以外になんと言ったらいいか俺は知らない ハリポタの「あの人」みたいにその名を呼ぶことが恐ろしい というわけではなかったが 俺はあのひとの真の名をほとんど崇拝していたので どうしても名を呼ぶことができなかった 俺があのひとの足もとにひれ伏して祈ったときにも 名を呼ぶことは思いもよらず 俺はただ震えながら存在しないその

その 何だったか まあいい とにかく俺は憐れみを乞うた あのひとの存在しない舌が存在しない言葉をかたちづくった 「女よ」 いやそのあの 確かに俺は女ですがね いきなりその物言いはないんじゃないでしょうか と俺は内心思ったが とにかく相手は長いあいだ俺が夢みてきたほとんど恋人のような否恋人よりもはるかに重要な存在/非在/不在であったから 俺は反抗しなかった 俺はひれ伏したままあのひとに祈った 俺はあなたになりたいのです 不遜でしょうか 不遜ですね それはわかっているのですけれど 俺はあなたが好きなのです 愛しているのです あなたとどうかしたい のではなくて ええと あなたと同化したいのです 「女。またも穴を穿てと言うか?」 いえそんなわけじゃなくて あなたが好きなのです だめですか ええと だめということはないでしょう いかに俺が不遜でも あなたはなにも拒まない なにひとつ拒めない だからこそあなたはあなたであり あなたはあなたではなくなったのではありませんか 少なくとも壮子思想の教科書はそう書いてますが 「女。同化してどうするのだ」 だってあなたとどうかするのが俺の夢なんですから それこそ白熱の情熱であなただけを思って生きてきたんですから 愛は常に対象との同化を夢みるじゃあありませんか お願いです どうか 俺の言うことをきいてください と 顔をあげて言ったとたん俺は間違いに気づいた それまでつるんつるんのぴかぴかののっぺらぼうだったあのひとの非在の顔の両脇にふたつの穴が開き 血飛沫があのひとと俺の顔を汚した 俺はひどく悲嘆してあのひとの顔に飛び散った血液をぬぐいとろうとした しかしその赤い汚れはどうしてもどうしてもとれなかった あのひとはそれきりもう動かなかった 俺はただふたつの穴をあけただけだったのに あのひとは

身体に七つの穴を穿たれたので死んだときいた それが誤謬でも誤伝でもなかった証拠には いま俺の目の前にはあのひとの亡骸があって 確固として存在するものとなったその顔には七つの傷口が昏い穴を見せている 俺が開けたふたつの穴なんて古傷を広げただけだったのだ そう思っても俺の心は晴れなかった 早晩あのひとが再びみたび俺の前に現れるであろうことを俺は知っていたけれど 俺の心は暗かった もっとも近い恒星から二百万光年離れた放浪惑星なみに暗かった あのひとが 二度と俺に「女よ」と呼びかけてはくれないだろうと俺にはわかっていた ななたびも傷を受けななたびも名付けられななたびも束ねられ それでもあのひとはあのひとであり続け あのひとは何者も拒まない ならば あのひとは俺が望んだとおりのことをしてくれただけなのだ 俺は涙を拭いて立ち上がり捨てなければならぬものを捨てようとしたが 俺はすでにそれを持っていなかった







000c 芳賀 梨花子
http://rikako.vivian.jp/hej+truelove/
Die Forelle D550 Etwas Lebhaft



西御門( にしみかど ) のフレンチレストランで女友達と、春野菜のソテー、小鳩のロースト、ワインもまぁまぁ、早めに戦線離脱したわたしはデザートのメニュー。ルバーブのパイ。そういえば、今朝、谷川俊太郎詩集を読んでいたら倉渕村のことを書いた詩があった。上信越自動車道ができて、めったに耳にしなくなってしまった倉渕村。関越を富岡で下りて大学村に行く途中。きれいな川が流れていた。あの道を通って大学村まで、谷川先生も車を走らせたのだ。今、大学村は通過するだけ、もっと浅間山に近い、火山灰の大地に、わたしの家は移ったから、祖母が湿気を嫌がったから、いや、そもそも、資金繰りが苦しかったから、大学村の家は梅屋が買い取って、梅屋のものになったけど、たまに大学村へ、その家を見に行った。祖父母はとっくに天に召されて、そして母も年々癌で弱っていった、あの夏も。母が子供のころ、草軽電鉄に乗って、その家に来ていたころと同じ庭だと、母はその庭で三つの岩を見つけては無邪気に喜ぶ。浅間山から噴出した黒い醜い岩三つ。その岩は50年以上の月日変わらず、そこに並んでいるのだ。見ざる言わざる聞かざる、三つの岩、黒い岩。祖父が縁側で庭を眺めては、変な節をつけて呼んでいた、あの三つの岩。母はおばあちゃまがルバーブのパイを焼いているみたいねとわたしに言った。そろそろ照月湖から夕方の靄が駆け上がってくるだろう。翌年の夏に母は病院で息を引き取った。梅屋に買い取られた家は取り壊しになるそうだ。わたしはいてもたってもいられなくなって、あの家へ、倉渕村から浅間隠しをまわって、わたしは一人であの家に行った。見ざる言わざる聞かざるを奪い返すために、あの家に行った。耳を澄ませば祖父が岩を呼ぶ声。まだ子供の母がルリボシヤンマを追い、祖母がルバーブのパイを焼く香ばしいにおいのする、あの家、あの庭。夕暮れ。肌寒い風。照月湖の靄。わたしはあらんかぎりの力を振り絞って見ざる言わざる聞かざるを奪い返そうと必死になる。動け、動いて、一緒に帰ろう、新しいおうちへ行こう。三人はわたしのことなんて知らん振り。見ざる言わざる聞かざるはびくともしない。お願い、お願い、動いて、一緒に帰ろう、新しいお家へ行こう。必死になって、無我夢中で、爪が折れ、靴が脱げ、ジーンズは泥だらけ、それでも見ざる言わざる聞かざるを奪い返したかったのに、その名のとおり見ざる言わざる聞かざるで、頑固で、どうしようもなくて、すると、茅葺だった屋根が赤く葺きなおされて、それでも、この夏が終わったら取り壊される縁側で、祖父がシューベルトを歌いだした。真澄の川に鱒は泳ぎと祖父が歌いだした。わたしはとうとう泣き出して、祖父は隣にお座りと目配せする。わたしは泣きじゃくりながら、シューベルトを歌う祖父の隣へ、すると祖父は、昔、切り出してきた竹でわたしと一緒に作った釣竿を磨き始め、ふたりは見ざる言わざる聞かざるのような時間をひたすら過ごし、とうとうわたしの涙が枯れると祖父は、明日の朝は早く起きなさい。照月湖に鱒を釣りに行きましょう。お前も大人になったから、きっと、大きな鱒が釣れるだろうと。その時、テーブルにルバーブのパイが運ばれてきた。女友達はルバーブを知らなかったので興味しんしん。わたしは蕗の一種だよと、子供のころ、おばあちゃまがこれと同じのを焼いてくれたんだよ、とっても美味しいんだよと、女友達に教えてあげた。女友達はデザートを注文せずにアマレットを飲んでいたから。











2003/4/15発行

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(編集 遠野青嵐)
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