イラク戰爭回顧抄録
序
本稿は、平成15年(西暦2003年)に開戰したイラク戰爭について、諸國及び其の指導者達がどのやうに行動したか、どのやうな事象が惹起したのかなど、日記に書き附けたことを元に綴るものである。
總論
この「イラク戰爭」といふものについて、いづれ何らかの評價を記したく思ふものであるが、筆が追ひ附かないので、今は留め置く。
開戰前夜~「戰鬪終結宣言」
平成15年3月10日 (月) - 英宰相の苦惱?と保守黨の反應の如何
の宰相は對イラク問題で身内から突き上げを食らうてゐる模樣。閣僚が辞任を仄めかすと云ふから恐ろしい。
で、吾輩の疑問を述べれば、與黨勞働黨はさておき、野黨たる保守黨はどういふ反應をしてゐるのでせうか。
平成15年3月15日 (土) - 米英西三國首腦會談
米英西三國は葡領内で首腦會談。何が不思議というて、西班牙がどういふ經緯で米英と一緒になつてゐるのかが、ようわからん。
平成15年3月20日 (木) - 開戰
米などが遂にイラク攻撃に着手。初手いきなりピンポイントで王手を仕掛けた模樣。
未だに人間の盾などと稱してゐる向きがあるさうやけども、何が哀しうて外國の獨裁者の爲に死なねばならぬのか理解に苦しむ。尤も、自殺者の心理は他人には分らないといふから、理解不能なのは當り前か。
政府の支持表明に對し、野黨は軒竝み反對姿勢の樣子。まあ、かやうな調子では何時になつても野黨のままでせうねえ。
平成15年3月21日 (金) - 開戰直後のあれこれ
土耳古國會は米軍機の領空通過を承認。米軍は南部都市を制壓した模樣。當初豫想より展開が早い。
昨日(20日)在東京米大使館前で抗議活動をしてゐた連中のうちに逮捕者が出た模樣。
呆れるのは、BC兵器が使用された場合には參戰もあり得るといふ佛の意嚮。あれだけ強硬に反對しておいて、なかなか見上げた根性である。
さうかういうてると、佛では驛で猛毒が見つかるといふ、なんとも物騷な話もあり。
平成15年3月22日 (土) - 「衝撃と畏怖」
米などは “shock and awe” と題して首都大規模空爆を敢行。南部では一個師團丸ごと投降し要所が攻略された模樣。副大統領他最高幹部3名の死亡説もあり。初端から散々であるが、思へば一方的に攻められてゐるところからしてそもそも終つてゐるのであるから可哀想なもの。
土耳古軍越境の報に關し、獨は土耳古が戰鬪に及べば土耳古防衞から手を引く方針である模樣。獨もまた面白いカードを切つてきたものである。
取り敢へず、幾ら平和主義を唱へてみても、ドンパチな娯樂の受けるのが現世の實際なのでありまして。まあ、平和主義がお好みなら、決して人を威嚇したり實力を行使したりせず、あくまで平和主義に則つて行動して下さいませ。
平成15年3月23日 (日) - 米英軍の駄目さ加減
米兵が自軍基地内で手榴彈を爆發させて拘束されたり、パトリオットが英軍機を撃ち落としたりと、なんか駄目駄目である。結局存命のイラク副大統領が TV に出てきたりもしたし。
平成15年4月7日 (月) - バグダッド侵攻
米軍はバグダッド都心に侵攻といふが、なんとも手際のいいことで。當初豫想ではこんなに早くバグダッドに入るなんて思ひもせず。
まあ、これから厭と言ふほど反撃されるのかも知れぬが。
平成15年4月8日 (火) - 戰爭報道
ドンパチを報道するのも樂ではないといふか、報道關係に死人續出の模樣。
平成15年4月9日 (水) - 軍事裁判
米は今囘の戰爭に於ける「戰犯」を自國軍事法廷で裁くつもりらしいが、これこそ極東軍事裁判をはじめとする此の手の裁判がいかに茶番であるかを示していると思はれる。そもそも軍事法廷といふのは自國將兵の軍紀違反を云々すると言ふのが支配人のイメージするところであるが、この認識は過つてをりますでせうか?
【後日註】上の樣に書いたものの、よく考へれば間諜などは捕まへれば裁判にかけるのはありなので、認識に誤りがあつたことを認めざるを得ない。
平成15年4月10日 (木) - 逆轉劇待つ?
此の頃の戰爭報道については、どうにもあつけなくて信じ難いといふ印象のみ。誰でせうか、越南みたくなると言うたのは。それともこれから逆轉劇が待つてゐますか?
まあ、武力鬪爭で勝つ事より此の先のイラク政權の落し所こそが問題な訣で、失敗したら勝つた意味がなくなるのであるから、超大國も大變である。
平成15年4月11日 (金) - サダム政權崩潰
一個軍團投降、政權崩潰。とはいへ、獨裁者が捕まらないでは氣持ちよろしくなからう。
サダムを、スターリン、ヒトラー、チャウシェスク、レーニンと竝べたのはいいのであるが、個人的には毛澤東、金日成、ポル・ポトあたりも是非一緒にして欲しいと思ふのであつた。
平成15年4月27日 (日) - 生存してゐたコミカル・アル
自殺説もあつた「コミカル・アル」ことサハフ・イラク情報相は投降の意嚮。生きてたんやねえ。
平成15年5月1日 (木) - 分割占領案の噂
イラク5分割占領案の噂。なんとなく聯想したのは分割占領された擧句分裂したままにされた獨逸。
【後日註】平成21年12月現在の視點で見れば、結局、占領軍による分割は行はれなかつた。國内勢力の割據のやうなものは、見え隱れするが。
平成15年5月2日 (金) - 「戰鬪終結」宣言
Bush Jr. は「戰鬪の終結」を宣言。わざわざ軍用機で空母に赴いて演説するとは仰々しき限りかな。
【後日註】でも矢張ケチが附いた。
平成15年 「戰鬪終結」後の事象
平成15年7月20日 (日) - イラクの昏迷
イラクの「統治評議會」は議長を選出出來ぬまま一週間を過ごした由。米もつくづく厄介なのを相手にしてしまうたものである。
平成15年7月23日 (水) : 大暑 - ウダイ、クサイ殺害さる
米軍は、サダムの息子のウダイ、クサイ兩名を殺害したと發表。
平成15年7月26日 (土) - イラク特措法成立
未明にイラク特措法が可決成立。
委員會採決の模樣を見るに、もめてゐる案件を扱ふ委員會の委員長は、ボディーガードがゐないとやつてられぬ樣である。それにしたつて、「良識の府」で押し合ひへし合ひするのは餘りお悧口さんに見えない。
平成15年8月19日 (火) - 國聯事務總長イラク特別代表爆殺さる
現地時間19日、イラクの國聯本部爆破テロで、國聯事務總長イラク特別代表セルジオ・ヴィエラ・デ・メーロ氏が死亡。元からではあるが、何とも無茶苦茶な所である。
【後日註】メーロ特別代表はブラジル出身。
平成15年11月29日 (土) - 本邦外交官イラクで殺害さる
イラクにおいて、參事官奥克彦 (【後日註】 29日附で名稱大使從四位旭日中綬章)、三等書記官井ノ上正盛 (【後日註】29日附で一等書記官從七位旭日双光章) の二名が殺害された。お二方には衷心より哀悼の誠を捧ぐ次第であります。
これが、我等が日本の外交官と知つての蠻行であると假定するなら、本朝に喧嘩を賣つたも同然であり、政府は忠良な吏員の無念を晴すべく、亦、我國の威を示し榮譽を保つ爲、斷固たる決意を爲すに躊躇せざる事を庶幾ふものなり。
故人の死に恐れを爲し、爲すべきを爲さず、徒に國威を失墜せしめ、國際社會で恥をかかうものなら、それこそ故人の本意とする處ではなく、逆に大いに悔ませる事になること必定。
平成15年12月6日 (土) - 故大使・書記官の葬儀
イラクにおいて無念の死を遂げられたお二人の葬儀が營まれた由。改めてご冥福をお祈りするものであります。
改めて書くが、これで政府が及び腰になる樣なことがあるなら、それは故人の意に反するものであると斷ずる。少くとも支配人はさう思へてならない。愼重を期すのは當然であるが、ずるずる先延ばしにするだけであるなら、それは全く人を莫迦にしてゐる。危險なのは承知してゐるが、その中でも立派に仕事を爲された方もゐる。
その死に戰いて誰も何もしないといふのでは、故人は全く無駄死にしたことになりはしないか。別に軍出動ありきではないが、大使館にすらまともな護衞がついてゐないといふのは、あまりに間拔けに思へて仕方がない。文民をも狙ふ輩がゐる中では、結局軍隊出すより仕方がないであらう。
グダグダ書いたが、政府がこれ以上樣子見に終始して愚を晒すなら、宰相が葬儀に參列しようがすまいが、政府は故人を顯彰するどころか虚假にした樣なものであると思ふ。兔も角早急に然るべき措置を執ることを庶幾ふ。
平成15年12月14日 (日) - サダム拘束
は「赤い夜明け」作戰を決行し、元イラク大統領サダム・フセインを拘束した。
映像を見ると、顎髭を生やし、髮はボサボサでなんとも哀れである。まあ、自業自得なので同情するわけではないが。取り敢へず、これでイラク情勢がちいとは落ち着けばいいのであるが、さて果てどうなることやら。
戰犯を裁く法廷といふものが、たとえ極惡な獨裁者を裁く爲と雖も、いいことなのか吾人は非常に疑問である。個人的には, サダムは獨立したイラク政府の成立後にその裁きを受ける方がいい樣に思ふ。もつと突つ込むと、吾人は東京裁判を正當とは認めない。
兔に角、戰爭の一つの節目であることは確かである。故に、此の先、事態がいい方向に進むことを願ふものである。
平成15年12月27日 (土) - サダムの裁判方法を今更協議
サダムは死刑にされて當然とは思ふが、裁判方法を捕まへたあとで協議してゐるといふのは泥繩にも程がある。刑事罰の遡及適用なんてことになつたらいくらなんでも可哀想といふか、結局この手の裁判なんて只のデモンストレーションとしか思へなくなる。
で、結局どうするんや?
平成16年の事象
平成16年1月16日 (金) - 陸上自衞隊先遣隊出發
我が陸軍の先遣隊がイラクに向け出發との由。無事任務を貫徹されんことを祈念するものなり。
平成16年3月20日 (土) : 春分 - 開戰一周年
米によるピンポイント爆撃による開戰より一年が經過。
嘗ての獨裁者は虜となるも、未だゴタゴタしてゐる。とはいへ、今占領統治を止めれば元の木阿弥どころか事態は取り返しのつかない混亂の極みに陷るといふに、「大義」の裏附けがないとして此を揶揄するのは、獨善に過ぎる。
一旦事が爲された以上、貫徹する他に、道はない。カエサルの言を借りれば、疾うの昔に、賽は投げられた
、のである。
平成16年4月7日 (水) - サダム、極祕の内に移送されてゐたと判明
サダムは、イラク國内が不穩につき、極祕のうちにカタールに移送されてゐた由。
【後日註】結局、いつ移送されて、いつイラクに戻されたのかはさつぱり分らない。
平成16年4月8日 (木) - イラクで邦人が拘束される
カタールの衞星テレビ局の報に據ると、正體不明の武裝勢力が邦人3人を拘束し、自衞隊が3日以内に撤退せざらば殺害する旨傳へて來た模樣。
内閣官房長官福田康夫は緊急に記者會見して自衞隊撤退を否定。
【後日註】結局この3人は4月15日頃には解放。別に2人が拘束されたが、こちらも直ぐに解放された。この都合5人の保護を訴へる連中が、自衞隊の撤退を主張するなど、事件を政治的に利用する向きがあつた爲もあり、國内は騷然となり、「自己責任」なる用語が使用される切つ掛けになつた、と記憶する。
平成16年4月20日 (火) : 穀雨 - 駐イラク米大使が指名さる
Bush Jr.は、駐イラク大使に、國聯大使John D. Negroponteを指名。
平成16年4月21日 (水) - 特別法廷長官任命
イラク統治評議會は、サダムらを裁く特別法廷の長官を任じた模樣。
平成16年4月29日 (木) : 昭和節 - 米軍、ファルージャから撤退の方針
米軍はファルージャから撤退の方針。
【後日註】この方針がいつ決定され、また、實際に履行されたのがいつなのかは、不詳。
平成16年5月31日 (月) - Bush Jr.の見せびらかし
Bush Jr.はSaddamの所持してゐた銃を客に見せびらかしてゐたとか。全く Jr. に相應しいといふか、なんといふか。
平成16年6月1日 (火) - イラク暫定政權人事決定
イラクの暫定政權の顏ぶれが一應決まつた由。
【後日註】どのみち分らないといふことで、詳細の記録は殘してゐない。
平成16年6月8日 (火) - イラクで拘束されし邦人國を訴へる
イラクで武裝勢力に攫はれたのが國の所爲と、ただ口でいふだけならまだしも、國家の裁判所に訴へるに至れば、最早開いた口が塞がらぬ。つふか、人に攫はれたときに、犯人が、「某が惡いから攫つた」と拔かしたのを眞に受けることはないのが普通と思ふが、此の件ではどういふわけだか眞に受けてゐるのであるから、訣が分らない。といふのは冗談で、訣が分りすぎて厭な感じ。
【後日追記】大體、犯人を訴へずに國を訴へるといふのが、常軌を逸してゐる。
平成16年6月22日 (火) - 陸自派遣部隊の地位について
多國籍軍の指揮下に入つた方が、本邦は獨自の意趣を以て行動するといふ憶測を豫防するといふことになると思ふのだが、さうは考へないらしい。無論、場合によつては、その方 (後日註: 多國籍軍の指揮下に入らざること) がいいこともあるので、政府は屹度さう判斷したのだらう……とは餘り思へず、ただ憲法問題を誤魔化す爲であるやうに見えるからいよいよみつともなくなるのである。
平成16年6月28日 (月) - 主權移讓を前倒し實施
米英等の聯合國暫定當局はイラク暫定政權に主權を移讓。
内閣は持ち囘り閣議でイラク暫定政權を國家承認。
内閣は持ち囘り閣議で自衞隊を多國籍軍に參加せしめた。
平成16年11月9日 (火) - ファルージャ總攻撃開始
米軍及びイラク暫定政府軍は、ファルージャへの總攻撃を開始した。
宰相小泉純一郎はこれに支持を表明。女王陛下の宰相トニー・ブレアも同じくの模樣。
平成16年11月11日 (木) - Bush Jr.の當て附け?
西班牙宰相がBush Jr.に(再選についての)祝意を表しようにも、聯絡がなかなかつけられないとか。一説にイラクからこれ見よがしに撤兵した事に對する當て附けとも。
まあ、佛蘭西に當て附けるためにフレンチポテトに珍妙な別名を附ける國のことであるから、其の位のことはしてもをかしくはない氣がする。
平成16年12月9日 (金) - 自衞隊派遣延長決定
自衞隊のイラク派遣延長が閣議決定された模樣。まあ、いづれ決定されるのは明かであつたので、今更何も言ふことはない。
平成16年12月9日 (金) - 合衆國國防長官質問責めに遭ふ
國防長官は、イラクに派遣する兵隊を激励に行つたところ、兵士から裝備が足らぬと質問責めにされた由。
平成17年の事象
平成17年2月21日 (月) - 駐イラク蘭軍が撤收開始
イラク駐留の蘭軍が撤收を開始した模樣。本邦自衞隊宿營地の所在地については、英軍が代りに入る。
しかし、改めて思ふが、軍隊に護つて貰ふ軍隊とはまるで樣にならない。……ええと、自衞隊は軍隊ではないんやつたつけか。莫迦らし。
平成17年3月16日 (水) - 伊は駐イラク部隊を縮小の方針
イタリアはイラク派遣部隊を9月から削減する方針を固めた模樣。
平成17年4月6日 (水) - イラク大統領選出さる
イラク國民議會はクルド人のジャラル・タラバニを大統領に選出。
【註】翌7日に移行政府大統領に就任。平成18年4月22日第四共和制大統領に就任。平成21年6月現在現職。
平成17年4月20日 (水) - イラク暫定首相襲撃さる
イラク暫定政府首相イヤード・アラウィが襲撃されるも無事。
平成17年4月27日 (水) - 濠洲軍中佐が陸自宿營地を訪問
イラク・サマワに入る濠洲軍の隊長たる中佐が、陸自宿營地を訪れ、群長たる一佐と會談した模樣。
平成17年4月28日 (木) - イラク移行政府發足
イラク國民議會はイブラヒム・アル・エシャイケル・アル・ジャアファリ內閣を承認、所謂移行政府が正式に發足。
平成17年5月10日 (火) - 元自衞官がイラクで拘束
元自衞官で佛の外人部隊にゐたりした人がイラクで拘束された模樣。
平成17年7月28日 (木) - 豫備審問でサダムを襲撃、亂鬪騷ぎ
イラク特別法廷に於いて、豫備審問を終へて退廷しようとしたサダムを何者かが襲撃し、亂鬪騒ぎになつたとのこと。(サダムの辯護團發表に據る。)
平成17年8月23日 (火) - サダム、辯護團の外國人を解任
サダムは、辯護團の外國人メンバーを全員解任し、殘つたのはイラク人のハリル・ドレイミのみとなつた模樣。
平成17年8月28日 (日) - イラク暫定議會、憲法草案を承認
イラク暫定議會が憲法草案を承認。
およそ60年前、憲法改正を迫られた我が國の受けた仕打ちと、今のイラクの状況と、いづれがましなのか、つい考へたくなるが、單純に天秤で量れる問題では、無論あるまいから、現世のことはややこしい。
平成17年9月6日 (火) - イラク大統領の怨念
イラク移行政府大統領ジャラル・タラバニは、サダムを20回絞首すべしと述べた由。理由は自身を20回暗殺しようとしたからとも述べてゐるさうである。
かういふ話を聞くと、權力爭ひをしても滅多に命に關はらない現在の本邦の爲政者は幸せである、となんとなく思つたりする。まあ、本邦の爲政者の生殺與奪の權なんてたかが知れてゐるので、そんなもので命落すやうぢや割に合はないと言へばさうだが。
平成17年9月9日 (金) - 自衞隊イラク派遣延長の方針
政府は12月に期限が來るイラクへの自衞隊派遣を延長、來夏までに撤收する方向で調整してゐる模樣。
平成17年10月19日 (水) - サダムの公判開始
サダムの公判が始まつた模樣。
平成17年10月25日 (火) - イラク憲法案が國民投票で承認
イラク憲法案が國民投票で承認されたと發表さる。
平成17年12月3日 (土) - 防衞廳長官がイラク駐留部隊を視察
防衞廳長官額賀福志郎がイラク駐留隊を視察した由。