レヴュー: 『ローマ亡き後の地中海世界 上・下』



諸元

著者
塩野七生
發行
新潮社 2009年
收得日
上: 平成20年12月20日 / 下: 平成21年2月10日

本書で扱はれてゐるのは、ローマ帝國分裂、西ローマ帝國滅亡後、イスラムが勃興、擡頭してからの時代の地中海沿岸地域についてである。

筆者は、上卷の一番始めに、「海賊」と題した文章を記してゐる。この中で、筆者は、西洋諸言語の「海賊」と譯されるべき二系統の單語について説明し、非公認の海賊と、公認の海賊の二種類があつたことを紹介してゐる。其の上で、日本語では兩者を區別してゐないことを指摘し、その理由を推論してゐる。この文章から讀み取れるのは、筆者が、海賊をあくまで無辜の民を襲ひ、生命財産を侵す非道な犯罪であり、これを「公認」してゐた現象について、人間世界を律してきた秩序が崩壊した時代の特色とし、法の権威の失墜を意味するものであると考へてゐること、更に約めて言へば、海賊と、その跋扈を許した時代、體制に嫌惡感を持つてゐることである。

續いて、筆者は、「はじめに」と題した一節で、パクス・ロマーナを確立したアウグストゥスに觸れてゐる。ここでの筆者のアウグストゥス、或は彼に始まるパクス・ロマーナに對する評價は、極めて肯定的である。直接的にではなく、ティベリウス時代の人物のアウグストゥス評を紹介する形ではあるのだが。

本書は、紛れもなく、筆者による『ローマ人の物語』の後日談の一つである。しかし、切り口は、既存のものとは些か趣を異にする。既存のものの多くは、西ローマ滅亡後の歐洲大陸内の興亡を描いてゐる。飜つて本書では、ローマ帝國の「内海」であつた地中海を境界として、その南北に在つた、キリスト教世界と、イスラム世界の對峙が、描かれる主題となつてゐる。そして、無視出來ないものとして、「海賊」と、その被害について、多くが割かれてゐる。

歴史の辿つた變遷については、實際に讀んで頂くとしよう。ここでは讀んだ上での所感を述べるに留めておく。筆者は、本書においても、國家、或は支配者といふものの責任といふものを、陰に陽に追及してゐる。責任ある國家といふものが、どういふものであるのか、筆者の考へは實に明快である。被支配者たる民衆の安全を確保して、平穩な生活を全うさせることの出來ること、がそれである、と評者は受け取つてゐる。そして、この筆者のあるべき國家觀といふものは、全く道理であり、かくあるべしと願はずにはゐられない。共和制か君主制か、或は民主的であるのか否か、それは、凡百の大衆には、二の次の問題であらう。どの様な政體を採つても、遂に支配者と被支配者といふ二つが存在すること自體は、未だにどうしやうもないのであるし、恐らく今後もどうすることもできないだらう。

歴史を省みて現代に目を轉じるときに思ふのは、今の我が國は、果して國家としてどれ程のものか、といふことである。國家としての責務を、國民に對して十全に果たせてゐるのか、否か。評者の考へをここで述べるつもりはない。ただ、本書を讀んで、思ひの行き着いた所は、過ぎ去つた異國のことではなく、現に生きてゐる今の世界であり、我が國のことであつたといふことだけははつきりと記しておきたい。


以上、平成21年4月12日記す。

平成21年4月18日、修正。



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