レヴュー: 『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』



諸元

著者
香西秀信
發行
光文社新書 2007年
購入日
平成20年1月4日

問題の解決には、議論をすることが大切である。このやうな言説は、皆が一度は耳にし、或は目にしたものであらう。然るに、現實のこの世の中で、一體どれ程の物事が、議論の結果、決められてゐるといふのか?

著者は、「論理的思考」に依據する「議論」は、結局、論者が現實世界で持つ立場や力、或は人間關係といつたものを一切無視したものであり、弱者の悲鳴であるとまで言ひ切つてゐる。淺學菲才な吾人が、なんとなく胸の内に思つてゐたことを、隨分と亂暴に、且つ的確に露はにした表現である。

初つ端でいきなりそのやうな表現を用ゐた後、筆者は、「論理的思考」の立脚點を責め立てる。即ち、論理的思考は、論者間の人間関係を考慮の埒外において成立しているように見える、或は、対等の人間関係を前提として成り立っているように見えるといふ訣である。そして一方、現實の議論の場の殆どにおいて、人間關係が對等なことはなく、偏つた力關係の中で議論が行はれることを指摘してゐる。つまりは、「論理的思考」なるものが對等の人間關係に立脚する以上、現實の議論で、それが十分には機能しないと切つて捨ててゐる訣である。

ここまででも十分強烈な内容であるが、これは未だ序論であつて、本書の眞價は、この先延々と、眞に弱者が議論をする上で頼みとするべき道具であるところのレトリックの手法を詳らかにして行つてゐるところにある。その世界に、「論理」は最早無意味ですらある。いきなり、言葉で表現することは詭辯である、と斷じて、延々その具體例を見せ附けるこの著者は、親切ではあるが實に意地が惡い(笑) 數々のレトリックの例を見てゐると、「知らぬが佛」とはよく言つたものよ、といふ氣分にすらなつてくる。

一度騙されたと思つて讀んでみることをお薦めする。吾人は面白い本だと思ふが、萬人がさう思ふとは思はない。嫌惡感を抱く人もゐるかも知れない。しかし、役には立つであらう。特に、騙されやすいお人好しにこそお薦めしたい。


本文書は平成20年3月28日作成。



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