「日本國憲法」無效論第二版



はじめに

昭和21年11月3日「日本國憲法」は、現狀有效な本邦の國憲として扱はれてゐるが、其の成立及び內容を鑑みるに、我が大日本の憲法として認むることは出來ない。本稿では、其の點を詳らかにし、大日本帝國憲法を復原することが至當であることを論ず。


「日本國憲法」立法時狀況及過程の瑕疵

「日本國憲法」が制定された當時、本邦は大戰に敗れ、米軍を主とする聯合國占領下にあつた。そして、憲法改正は、聯合國占領當局からの指令によつて、全く非主體的に行はれた。此の事に疑ふ餘地はない。

所謂「ハーグ陸戰規約」、本朝の公布せる名稱としては「陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約」第43條では、國の權力が事實上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶對的の支障なき限、占領地の現行法律を尊重して、成るべく公共の秩序及生活を恢復確保する爲施し得べき一切の手段を盡すべしと規定されてゐる。占領當局は當然に本條項を遵守すべきところ、絶對的支障の存在せざるに拘らず、國憲の改正を強要したのである。掛かる措置は極めて不當と斷ず。

國憲の改正を強要したのみならず、強要したからには當然とは言へるが、内容についても手前でつくつたものを強制したのであるから、「占領地の現行法律を尊重」するどころか、蔑ろにすること此の上ない暴虐である。更には、帝國議會に於ける審議についても、占領當局の監視下におかれたことが、明らかになつてゐる。此の樣な制定過程を經たものを正當と看做すのは、法治主義の觀點からしても、論外と言はざるを得ず。

亦、帝國憲法第75條は、攝政を設置する間の憲法及皇室典範改正を禁止してゐる。占領當局をして、一般的な攝政と看做せるかどうかは兔も角、天皇大權の行使につき、占領當局が此を監督してゐたのは明らかであり、帝國憲法第75條の立法主旨に照らせば、昭和21年の憲法改正は帝國憲法第75條に牴觸する疑ひが濃厚である。

帝國憲法では其の樣な條規はないが、各國の憲法の中には、戰時や非常事態時に於ける憲法改正を禁じたものも存在する。第75條も、「攝政設置」といふ非常時に於ける憲法改正を禁じた點では、同列の主旨であるといふ見方も可能であることは留意されて良からう。

人間のやることに完璧などあり得ないと雖も、昭和21年の憲法改正は、ここまで論じた通り、外形的にも極めて瑕疵が多く、法治の原則からして、此を認めることは、非常に問題が多いと言はざるを得ない。由つて、吾は、當改正を正當と認む能はず、結果としての「日本國憲法」を正當な國憲として認むることも出來ない。


「日本國憲法」の內容の瑕疵

內容については、各々の主義主張により、異なる見解が見出せる分野である。從うて、最低限の指摘に留める。

第一は、國防に關する規定の缺損である。武力の保持については、國家の判斷として保持しない、といふことは、可能性としてあり得る。しかし、交戰權の否認は、明らかに主權を持つ獨立國家としての責を抛棄したものであると、糺彈せざるを得ない。昭和憲法第9條第1項は、國家の獨立を阻害してゐる點において、昭和憲法が國憲たり得ぬことを自白してゐると言へよう。

此の樣な規定は、國憲として極めて無責任である。一國の國憲が、其の國の獨立に必要な權能を阻害する場合、憲法と國家存立のどちらを優先するべきか、言ふまでもなく後者であらう。昭和憲法は、其の條規に由つても、憲法としての正當性を失當してゐる。

もつと約めて言へば、昭和憲法は前文及び第9條の條規を以て、隸屬國の憲法であることを自ら暴露してゐると言ひ換へても良い。本邦が隸屬國であることを、吾は看過す能はず。故に、昭和憲法も認む能はず。

第二は、天皇の地位である。大日本帝國憲法では天皇は國を統治し統治權を總攬する國家元首であつた。但し、此は、大日本帝國憲法が「確認」した事項であつて、大日本帝國憲法が新たに定めたものではない。

歴史を顧みれば、日本と云ふ國は、肇國以來ずつと一貫して天皇を戴いて來た國である。これを止めれば、日本は日本ではなくなると言つて良い。國史上の如何なる權力者も、天皇を凌駕する權力を振るつたことはあれども、權威は飽くまでも天皇の其れを背景とした。此こそが我が國體である。

然れば、主權在民と稱して、國史を無視して國民一般に權力の源泉たるべきことを求めるのは、國情に適はぬ暴擧である。國民一般は、政治の恩惠を最大に受けることが出來ればそれで問題ない筈である。國權の源泉になつたと雖も、結果として何等の恩惠を得ることが出來なければ、無意味でしかなからう。民主が絶對的に善であり、君主がそれに反する惡であるといふ考へは淺慮にして短絡的である。例を擧げるならば、本邦報道で屡々福祉國家の見本として肯定的に語られる北歐三王國は、三王國と言ふことから明かなやうに、國王を戴く君主制國家である。國政の是非と、外形的な君主制、共和制の別は、全く關係ない。否、結局法治が行き屆かず、選良であつた筈の民主的政治家が暴君然に振る舞ふ例は幾らでもある。G7の内實を見るなら、米國的大統領制は米國一國であり、佛的半大統領制も佛一國、大統領が儀禮職であり議院内閣制であるのが獨伊二國、立憲君主制であるのが日英加三國となる。地上で最も繁榮を謳歌してゐると看做されてゐる七國でも、結局君主制か、それを擬制した體制 (伊獨兩國の大統領職は寧ろ立憲君主に相似する) が過半である。國民に選ばれることと、國民に恩惠をもたらすことは、同義でも、必要條件でも、十分條件でもない。

勿論、民權を制限することを是とする訣ではない。然し、此の先も際限なく擴げることが、眞つ當なことかどうかは考慮されて然るべきであらう。今でも、民權同士が衝突するなんてことは、實際起つてゐる。また、民權を保障して、國民を政治に參加させるに當たり、國民を「主權者」の地位につけることは必然ではない。政治は時に冷徹冷酷なものであり、國民の一時的感情によつてのみこれを行ふことが危險であることは、歴史を見ても明らかである。

日本においては、天皇に認められることが、政權の正當を擔保してきた。今日においても、外形的には、此を踏襲してゐる。國憲は、此の歴史的事實を反映して然るべきと考へる。「日本國憲法」は此の點では全く曖昧であることだけは確かであらう。此は國體を明らかにするといふ、國憲の意義を滿たさない瑕疵であると言へる。

亦、昭和憲法の求める嚴格な政敎分離も、本邦の國體に悖るものであることをここで附け加へておいて良からう。祭祀をせざる天皇は最早天皇ではなく、天皇のいましませざる日本は最早日本ではないと知るべし。

上記二點が、「日本國憲法」の內容の瑕疵であることを指摘して、此の段の纏めとする。


昭和憲法を崇め奉る連中への反駁

帝國憲法について、欽定憲法である點、天皇に外形的に強大な權力を與へてゐる點、民權の保護が現在よりも弱い點など、樣々な批判がある。然し、考へても見よ。大正時代の民主的政治運營に於けるスローガンは何であつたか。「護憲」である。そして、當時の憲法は昭和憲法では勿論なく、帝國憲法であつた。帝國憲法が非民主的で專制君主の支へとなるだけのものであれば、大正時代の民主的政治を主導した先達は、「護憲」など訴へなかつたであらう。

抑も、帝國憲法を昭和憲法と比較して、何が決定的に劣ると云ふのか。吾にはさつぱり分らない。勿論、帝國憲法も人間のつくつたものであるから、完璧とは言へない。此を發布勅語に於いて不磨の大典と述べて了つたのは拙かつたとも思ふ。然し、それでもなほ、帝國憲法の何が昭和憲法よりも決定的に劣るのか。

民權の保護については、帝國憲法の條規は、現在の感覺では些か不都合かも知れない。然し、帝國憲法は別段民權の保護を禁止してはゐないのである。それどころか、上諭に於いて、天皇は親ら、臣民の權利財產を保護すると宣言してゐる。日本に於いて、此ほど確かな裏書きはあるまい。もし必要なら民權を法律で保護しても良いし、それでも足らぬとあらば帝國憲法を改正しても構はないのである。重ねて書くが、帝國憲法は民權の保護を禁止などしてゐないし、絶對的な支障にもならない。

吾は、昭和憲法なかりせば基本的人權が守られないなどと考へてゐる奴の氣が知れない。そんな莫迦なことがあつて堪るか。國民が民權についてどういふ動機であれ其れを守らうと考へてゐるから、曲がりなりにも民權が守られてゐるのではないのか。昭和憲法の條規がなくなれば日本人の人權がなくなるなんて、莫迦らしくてお話にならない。帝國憲法に復しても、既に民權の旨味を味はつた國民が、おいそれと其れを手放すとは思へない。法令に書いてなければ忽ち消えるやうな民權は民權などと呼ぶのも烏滸がましい。そこまで法令は絶對ではないし、民權は脆弱ではないと、吾は信ず。

同樣に、昭和憲法なかりせば、日本は早速戰爭を始めるが如く言ふ莫迦がゐる。自分達の國をそんなに信用できないのか。自分達の民主主義をそんなに信用できないのか。自分達の軍隊をそんなに信用できないのか。吾は、さういふ莫迦な日本人の方が、餘程恐ろしい。實際に恐ろしいことをしてゐる外國よりも、自國の方を恐れるとは、一體どういふ精神疾患なのであらう。


帝國憲法を復原し、改正するしかない理由

本邦の現狀は、一言で言へば異常である。とても獨立國の憲法とは思へない代物を憲法として有效と看做し、其の憲法の條規に反して軍隊を保持してゐながら「自衞隊」といふ名で呼んで誤魔化してゐる。そして、奴隸の憲法と言つて良い昭和憲法が優れてゐると公敎育で洗腦して憚らず、誰も其れを疑はない。重ねて書くが異常である。

昭和憲法は其の成立に於いて既に正當性がない。であるなら、速やかに此を失效させるのが道理である。昭和憲法が無效であれば、或は無效となるなら、當然に帝國憲法が有效となる。

帝國憲法は、我等の先達が年月を掛けて苦心慘憺した甲斐あつて、骨骼は立派に出來てゐる。一週間程度で餘所者にでつち上げられたものより、餘程眞つ當である。とはいへ、時代は矢張變はつてゐる。取り分け、民權について、國民の意識は變はつてゐる。其れを考慮に入れ、時代に即する爲には、帝國憲法の復原が成つた後、其の條規を、帝國憲法の條規に據つて、改正することに異存はない。憲法と雖も人間の決めた統治の爲の道具に過ぎないことを示すためにも、眞つ當な方法で改正して見せる必要があるとすら思ふ。

ここで注意を要するのは、吾の主張は昭和憲法を改正すべしといふ主張ではないことである。昭和憲法には正當性がない。幾ら其れを改正しても正當性が生じる訣がない。日本の憲法は、帝國憲法か、其れを正統且つ正當に引き繼いだものでなければならない。故に、一旦帝國憲法を復原し、改正するしか、眞つ當な立憲君主政體に戻る道はないのである。


帝國憲法を復原するに際しての誤解に對する反駁

昭和憲法を失效せしめ帝國憲法を復原すれば、昭和憲法の下で行はれた立法、行政、司法が盡く覆ることになるので甚だ非現實的である、と誤解する人もゐるが、其れは違ふ。

帝國憲法第76條には、法律規則命令又ハ何等ノ名稱ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ總テ遵由ノ効力ヲ有スとある。詰り、帝國憲法の條規に反しない限り、例へ帝國憲法が復原されても、現行の法令はそのまま效力を保つ。吾が思ふに、帝國憲法に眞つ向から反するやうな法律は、昭和22年法律第3號「皇室典範」位であり、位置附けを變へなければならないのは「自衞隊」位であつて、憲法附属法典ですら、細部の規定を變更すればそのまま通用するやうに思ふ。

さうであるならば、帝國憲法が復原されることについて、何を恐れることがあらう。吾は、何もないと思ふ。第一、帝國憲法の下で、或は帝國憲法が成立する以前につくられた法令が、昭和憲法の成立を以て盡く廢棄された訣ではない。今でも效力を持つものは結構ある。

確かに憲法といふものは國の最高法規であり、此に反する法令は存在を許されない。然し、反しない限りに於いては、憲法が如何にあつても矢張有效なのである。親龜轉けたら皆轉けた、といふ具合にはならない。

重ねて書くが、昭和憲法を失效せしめ帝國憲法を復原しても、法的にも社會的にも大きな混亂は生じ得ない。國會の構成だけは手當が必要だが、行政、司法については現行制度から大きく變へる必要は見當たらない。見當たらない以上、恐れることは何もない。

帝國憲法の復原とは、國憲としての帝國憲法を本來あるべき位置に復せしめることであつて、歴史的に帝國憲法の下で行はれた制度に盡くを戻すといふことではない。歴史的に帝國憲法の下で行はれた施政そのものまでを甦らせることを意圖するものではない。此の點の誤解が非常に多い樣に思はるる。


まとめ

以上、見てきたやうに、「日本國憲法」は瑕疵のかたまりであり、「大日本帝國憲法」を復原することに支障はない。成る可く早期に昭和憲法を無效たらしめ國體を正すべきである。諸賢の努力により、一刻も早く其れが成ることを冀つて本稿のまとめとしたい。





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