支那的世界觀に關する論考
序
我等が大日本は、その歴史的過程において、支那の國家體制を模倣し、及び其の他の文物を移入した上で、之に改變を加へて自家薬籠中の物とした。故に、支那における世界觀乃至國家觀を理解することは決して現代においても無用とは言へない。寧ろ、現代にあつても、支那は根本的に其の世界觀を變へるに到らないのであるから、之を理解することは、彼の國を相手とせざるを得ない大日本の歴史的及び地理的立場を鑑みて、必要とすら言へる。
「中華思想」の普遍性と特異性
支那の世界觀において第一に擧げるべきは、其の「中華思想」である。
凡そ何れの國家乃至民族においても、自らを上位に、隣國乃至他の諸族を下に看做すことは屡々行はれて來たことであり、これは、人間の持つ缺陷の發露であり、ある意味において自然なことであるのだが、支那における「中華思想」は、其れを思想哲學を以て強固なものとしてゐる點と、その背景に特別に宗教を要せざる點において、特異であると看做さざるを得ない。
宗教上の差別として、異教徒を人として取り扱はず、又は人として扱つても信仰を同じくする者よりも下と看做す例は、例擧に暇がない。但し、現代において世界的規模で堂々と之を行つて恥ぢないのは、イスラム原理主義において顯著である程度であらう。
「中華思想」の特異な點は、イスラムの樣な、強固に排他的な「神」概念を特に設けることもなく、自らの他に對する絶對的な優位性を固持し續けてきたところにある。そして、もう一つの特異な點は、支那中原は古代より同じ民族が一貫して支配してゐる訣ではなく、寧ろ周邊の諸族の侵寇を繰り返し受けてゐることである。其れにも拘らず、何故か「中華」は崩潰せず、逆に、侵寇した諸族の方が、「中華」に包含され同化され教化されてゐる點も、また、特徴的と言へよう。そして、其の結果、現在の「漢族」は、かつて蕃族とされた諸族の血の方が濃いであらうにも拘らず、諸族の歴史や思想は掻き消されて、「中華思想」の方が累々と受け繼がれてゐるのである。これは實に興味深いことと言はざるを得ない。
「中華思想」においては、支那中原は「中華」と自認し、これを世界の中心に据ゑる。その上で、その統治下にない周邊諸族を下等なものと看做し、東夷、西戎、南蠻、北狄と呼稱して、これを「教化」することが「使命」であると嘯いた。ここまでは、かつてのキリスト教國でも、イスラム帝國でも見られたことで、言はば、ある意味普遍的な事象である。
「中華思想」において特徴的なのは、一應「中華」の範圍は決めたものの、これは現に中華皇帝が直接支配してゐる領域に過ぎないのであつて、「本來」は世界全部が中華皇帝の支配する領域であると認識してゐる點である。故に、根本的に對等な「他者」の存在を豫定してゐない。モンゴル帝國を除いて、支那中原を支配した王朝が悉く、出自を省みることなく自ら中華皇帝を稱したのは、一體どういふ訣であらう。本朝にあつては聖徳太子が小野妹子を隋に差し遣はして、中華皇帝の唯一性を否定して以降、「中華思想」の世界觀から訣別したが、支那は世襲王朝による支配を止めても「中華」であることを未だに止めてゐない。これこそが、日支兩國間の、埋まることのない間隙の主たる一因である。
支那的世界觀における「歴史」
支那の世界觀の上でもう一つ特徴的と言へるのは、歴史に對する態度である。太古より、支那ほど、歴史を重視した國はあるまい。國家の日々の出來事を記録する爲に「史官」といふ職を設ける程、國家の正統性を何よりも歴史に置いたのである。
但し、指摘するまでもなからうが、その「歴史」といふものは、現に政權にある王朝が、その正統性を主張するためのものであつて、その意義に反するものは、例へ事實であつても、「歴史」とは認められない。古代にあつては、國家の大臣が、自らの罪過を記した史官に消去を命じ、斷られたために彼を斬つたが、次に就任した史官が同じことを繰り返した爲に、遂には歴史上に罪過を遺すこととなつたといふこともあつたが、唐以降は、歴代王朝が、前王朝の史を編纂するのが例となり、それが故に、斯樣な美談は成立する餘地がなくなつた。この、歴代王朝が認めた「正統」な「歴史」をして正史と稱し、支那の世界觀では、正史は歴史的に「全く正しい」のである。これは近代的な歴史學の豫定する歴史とは全く異なるものであるが、目的がそもそも違うのであるから、ある意味當然と言へよう。
屡々日支或は日韓の間で發する「歴史問題」は、雙方の歴史事實の認識の違ひに因るものも勿論存在するが、それ以前に、支那や、「小中華」韓國においては、「歴史的事實」とは彼等の政權の正統性の爲に有意義な「歴史的事實」であつて、客觀的、學術的な正しさなどには重きを置いてゐないといふことを念頭に置くべきであらう。本邦においては、この點を理解してゐないので、彼等の主張を覆す確たる證據や證明があれば事足りると考へてゐる、頭の中がおめでたい人々が澤山ゐるが、彼等が一旦「歴史的事實」と認定した以上は、其れが例へ明かな嘘でも「歴史的事實」なのである。少くとも、國家や社會のレベルではさうである。其の事を念頭においておかないと、無駄な議論にエネルギーを費やすのみといふことになる。「歴史の共同研究」を學術レベルでやることに、全く意義がないとは言はないが、それが、日支或は日韓の歴史認識問題を解決する術には決してならないことだけは、理解しておく必要がある。
現代支那の國家觀
ここからは、現代の支那政權、即ち中國共産黨政權の國家觀について述べる。
中共政權は、世襲に由らない王朝と言へる。支那の世界觀においては、中華皇帝が世界に君臨するのであるが、世襲の皇帝から、中共の總書記に替はつただけである。そして、「中華人民共和國」といふ國があつて、そこに「中國共産黨」が存在するのではなく、初めに「黨」ありきで、「黨」の版圖が、「中華人民共和國」といふ國家として運用されてゐるに過ぎない。軍隊も、國家の軍隊ではなく、「黨」の軍隊である。共産黨が政權を執つた國には、國家の軍隊ではなく、黨の軍隊を持つ國が多かつたから、これだけを以て支那の特徴とは、勿論言へないが、認識は正しく持つておく必要があるだらう。
支那と民主制の親和性の低さ
「民主」の二文字ほど、支那に根付くことの難しい政治概念はないと思はれる。そもそも、中華世界においては、「國家」や「人民」といふ概念はあつても、「國民」といふ概念はない。ある集團が一地方を政治的經濟的軍事的に支配するに到つたとき、それを支那世界では「國家」と呼ぶのである。これは中華四千年で一貫して變はらない。このとき、その支配地域に勿論人民はゐるが、あくまで支配の對象であつて、それ以上ではない。
これは單に歴代王朝の政治姿勢にだけ問題がある訣ではなく、人民の側も、基本的に「國家」からは離れた存在であらうとしてゐるのである。「國家」の暴政失政が酷くなり、自分達が食へなくなれば、叛亂を起して、その叛亂の中から次の「國家」の擔ひ手が出てくるのもお決まりのパターンであるが、平時において、人民が「國家」の運營に攜はるといふ觀念は、完全にないと言つていい。人民は人民で自分達の秩序を保つてをり、それを敢へて「國家」と結び附ける氣などないのである。科擧を受けて士大夫になるやうな者もゐたが、彼等は別に公共の爲に奉仕しようとか考へた訣ではなく、官僚として旨味を得るために「國家」に身を置くことにしただけの話である。
繰り返すが、支那世界においては、「國家」と「人民」は決して交はらないし、交はらうといふ氣をそもそも起さないのである。天安門で學生が騷いで殺されたのも、結局は、歴代王朝で時に見られた、士大夫層が宮中に實權を握る連中の非を鳴らして爭つたのと相似してゐるとも取れる。假に現中共政權が倒れても、その後、我等の思ふところの民主的な體制が、支那において構築されるのか、筆者は甚だ懷疑的である。
現代支那の「外國」に對する見方
前置きが長くなつて仕舞つたが、では、中共政權の國家觀、世界觀について、筆者がかうであらうと思ふところを述べようと思ふ。
支那は、「中華思想」を持ち、面子に拘る一方で、現實への對處においては甚だ柔軟な一面を併せ持つ國である。古來よりさうで、さうであるが故に今日に命脈を保つてゐると言へる。「中華思想」では豫定してゐない、對等な諸國といふものも、何だかんだ言ひつつ、歴代において是認してゐるのもその一つである。
中共政權もまた同じで、面子に拘る點は歴代と同樣であるが、逆に、その面子を守るためであれば、他で妥協する柔軟性を持ち合はせてゐる。「小中華」韓國が、其の點柔軟性に缺け、李朝が國家を滅ぼし、現在も南北に分れて意地の張り合ひをしてゐるのとは、ある意味において對照的である。
中共政權は、自らが世界の「中華」として他を睥睨するのは無理があることを承知してゐる。少くとも、歐米、露西亞、印度について、その天下に治めることが不可能なことは理解してゐると筆者は思つてゐる。一方で、東南アジアにおいては、その霸權を維持乃至確立したい意志は明かであるし、アフリカや中南米にも影響力を誇示したいのは、その外交を見れば分る。詰り、力關係で、どうしても上に立てない相手については現實的對應として彼等を「對等」と看做し、さうでない相手については、武で蹂躙するか、利で釣り上げるかは異なるが、何れにしても、自らを上とし相手を下とする關係を構築しなければ氣が濟まない、「地」が出るのである。
朝鮮半島については、北側は既に自らの保護下に入つてゐるも同然であり、南側は、現在は米の霸權下にあるが、それがなければどうとでも出來ると思つてゐるに違ひない。
臺灣、ウイグル、チベットについて、喧しく「祖國」の「一部」とし、後二者については無茶な彈壓をしてまでその版圖から除外させる氣が毛頭ないことを見る限りにおいては、歴代と同じく「中華」であると言はざるを得ない。同時に、歴代さうであるが、人民に對する慰撫の念など、此の國においては絶無であることも見てとれる。彼等が「祖國」といふ言葉を用ゐても、何がどう祖國なのか、日本人の筆者にはまるで理解が出來ないのだが、この際、理解は不能として諦めておく。
最後に、肝腎の、日本をどう見てゐるか、であるが、彼等の正史では、日本は支那を「侵掠」し、八路軍がこれに抵抗してやつつけたといふのが、彼等の政權の「正統性」にまでなつてゐるのだから、始末が惡い。それ以前の、明討伐や清討伐の件もあることを考へると、彼等が日本の存在を面白く思つてゐないことは容易に想像がつく。
ただ、奴らは、一方で現實的である。日米安保體制がある限りは、挑撥的な行動まではしても、侵寇に及ぶことはないだらう。但し、足許を常に見られてゐるのは確かで、少しでも隙を見せると、海底ガス田を分捕られたりする。また、基本的に、援助してやつても、「朝貢」と捉へて感謝などしないのであるから、不要なODAを貢ぐだけ貢いだのは、甚だ莫迦莫迦しい所行であつたと言はざるを得ない。さういふ意味では、いきなり正面切つた侵掠を受ける可能性を考へるよりも、もつと狡い、細かな、然し場合によつては我等の矜恃に關はる樣な眞似をしてくる危險性をこそ、十分認識すべき相手である。
對支那においては、戰前に幣原喜重郎がやつたやうな、「友好」の美名の下に妥協してやるやうなことは、決してプラスにはならない。そもそも、「友好」なんて成立しないのである。連中のいふ「友好」は、支那を中華と仰ぐことに他ならないのであつて、同じ字でも日本語の「友好」とは異なることを、意識しておかなければならない。逆賊加藤紘一や河野洋平の如き、日本の何たるかを知らず、また支那の何たるかも分らない無智蒙昧の輩が、「日中友好」だの「亞細亞友好」だのと奇天烈なことを言ふのには、幾とウンザリする。
靖國神社問題は、まさに端的に支那の思惑を表す問題と言つてよからう。まさに、日本は弱みに附け込まれたのである。國益など微塵も顧みない莫迦なメディアが、後先考へずにこの問題を取り上げて、結果的に敵の後押しをするのだから、始末が惡い。國會で、この「問題」を追及する野黨も、黨利黨略は考へても、國益は顧みない點では同じであり、國政に參與してゐる分、罪はいよいよ重い。政權與黨にあつて利敵行爲に及ぶ、名前を先に擧げたやうな連中に到つては、万死に値する。彼等が國益を本當に微塵でも考へてゐるなら、大日本の爲に、餘計なことはせずに一日も早く鬼籍に入るのが賢明である。約めて言へば、早く死んでしまへといふことである。これに關しては、お詫びも訂正も絶對にしてやらない。
支那は、やはり支那であつて、基本的には他を壓迫して其の下に置かねば氣が濟まない、かう考へて用心するのが肝要である。これを行へない者は、日本の國政に關與すべきでなく、關與を許す素地をもつくつてはならない。
履歴
- 平成20年7月28日 執筆
- 平成20年7月29日 改訂