國語に關する備忘録

疑似と擬似

Twitterのタイムラインで見出しのことが話題になつてゐたので、手許でも調べてみた。

『漢字源』(編:藤堂明保外、學研)では、「擬」字「擬似」項に、(1)何の罪にあたるかを思案する、(2)[日本語での意味]=疑似、よく似てゐて紛らはしいこと、とあつた。

白川静『字通』(平凡社)では、「擬」字「擬似」項には擬罪とのみあり、「疑」字「疑似」項には『呂氏春秋』疑似篇を引く。

TLで見た情報と、上記を併せて考へるに、「疑似」が本來の形、「擬似」はそもそも支那では別の意味(=擬罪)であつたのが、日本ではそれを知らなかつたか知つてゐても行方不明になり、そして、「疑似」を「擬似」と書く流儀が出來たのであらう。

何てこつた。

理窟

理屈ではなく理窟であるとTwitterで言うたら何か色々出た。それはさておき。

出典は『晉書』張憑傳或は『世説新語』文學第四にある逸事の由。共に張憑勃窣為理窟。の句を載せてゐる。

Twitterで話題に出たので覺書。

音はキン、訓はくるしむ。康煕字典には窮迫也、急也、困也。とある。

今の日本語では「たしなめる」の意で使ふが、元々の字義には含まれない。古く「たしなむ」に苦しむ、苦しめるの意があり、其れに宛てたもの。後に「たしなめる」を注意するの意味に用ゐるやうになつたらしい。